イスラム教徒の友達ができたら



シンガポールで暮らしているとイスラム教徒と接する機会が自然に増える。週末は金夜がマレー系ムスリム男子とテニス、土日はインドネシアからやってきたムスリム女子4人組とユニバーサルスタジオに行った。僕は普通に日本で生まれ育ったから、こっちに来るまでイスラム教と言うと9.11以降のテロの印象と自動的にリンクさせていたように覚えている。これは今になって思えばイスラム教徒の友達が1人もいなかったからだ。今は友達の顔を思い浮かべる。

一般的に秩序を重んじると言われる日本人でも殺人を犯す。だからといって日本人が暴力的な民族とは言えないだろう。それと全く同じで、一部のヤバいのが世界の一部で社会秩序に挑んでいるだけで、その他大多数のイスラム教徒は全く関係ないところで平和に暮らしている。

今日は、マレーシア、インドネシア、シンガポールに住むイスラム教徒と一緒に遊ぶようになって感じたことを書こうと思う。



食べ物は気を使って合わせてあげる必要がある

日本でも外国人観光客の獲得を目指してハラルの飯屋が増えてきたという。土日に遊んだインドネシア女子も大阪でハラルのラーメンを食べたと喜んでいた。日本人からすると、豚の要素が全く入っていないラーメンなど美味しいのか謎だけど、ここは尊重してあげなくてはいけない。それが正しい正しくないは別にして、そういう価値観で生きている人を尊重できないのであれば、異文化で育った人と楽しく暮らすことは出来ないだろう。

この、特定の食べ物が汚れているという感覚は日本人には理解しにくい。僕的解釈だけど、豚肉は「糞」、アルコールは「尿」と考えると彼らの感覚を擬似的に捉える事ができる。それらがもし部屋にあったら不快でしょうがないし、触れたりまして食べるなど想像もしたくないだろう。

豚やアルコールの他にも、肉食獣や両生類は食べることが禁じられているので、例えば日本の熊肉やシンガポールの中華料理でよく使われるカエル肉は触ることすらできない。なんてったってウンコだもんな。だからかなりハラル料理が普及しているシンガポールでさえ、食べられないものが多い。むしろ彼らと楽しめるレストランのほうが少ないかもしれない。イスラム人口がほとんどいない日本にいったらなおさらだ。

ただ豚やアルコールは糞尿なので、もし経験として食べるように仕向けてくる人がいたら交友関係を続けることができないだろう。だからここは自分が食べたいものでなかったとしても、妥協して合わせてあげる必要がある。また、イスラム教徒には肉魚を食べないベジタリアンも多い。こうした理由でもっと食に制限がある人もいる。これは彼ら自身も合わせてもらうことに恐縮しているのか、食事の直前まで言い出してくれない場合も多い。「最低限ハラルの店なら、肉の入ってないメニューもあるだろう、相手にそこまで合わせてもらうのは恐縮だから、その場で食べられうものを選ぼう」というような思考だと思う。

でも実際、ハラルであることとベジタリアンであることは全く別なので、ハラルのレストランだからといって肉抜き料理があるとは限らない。店についてから「実は・・・」ってなことになると非常に気まずい。彼らも言い出さなかったことをとても恐縮してしまう。なので、イスラム教徒と食事をすることになったら、どの程度食べ物に制限があるのかさり気なく聞いてからレストラン選びをすると喜んでもらえると思う。

実は酒が好きなムスリムもいる

とかいっていい加減な奴はどこの社会にもいる。僕に酒を飲めるか向こうから聞いてきて、じゃぶじゃぶ注ぐようなムスリムもいるから混乱する。しかし当然、イスラム社会で飲酒は褒められた行為ではない。厳しく取り締まられていないオーストラリアで吸う大麻のような感じか。だから咎める人の目につけばトラブルになる可能性がある。僕は基本的にひと目でイスラム教徒とわかる人との酒は断ることにしている。

まとめ

  • 自分の食へのこだわりは妥協してハラルに合わせてあげる
  • 禁忌食品でなくても、未知の食べ物には警戒心が強い
  • 人により牛も食べなかったりベジタリアンだったりするので事前にさり気なく調査
  • そういう配慮をすると喜んでもらえるし株が上がる
  • イスラム社会での不良行為には付き合わないのが無難