恩田陸『蜜蜂と遠雷』読了。のだめっぽかった。

直木賞を受賞した恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読了した。天才と超天才がピアノコンクールを勝ち進む話。僕の読解力と音楽の知識があまりにも足りなかったため、ピアノの名曲をいくら文字で語られても脳に音が鳴り出すことはなく、弾かれる曲を場面ごとにYoutubeで聴きながら読み進めた。これは本作を楽しむ上で結構いいアイデアだと思う。ほら、『のだめカンタービレ』だってサントラあるし

そう、「のだめ」でも思ったんだけどやっぱり文字や絵で音楽を表現するには限界があると思う。だから、本作も演奏される曲を驚愕なまでに豊かな語彙で表現する場面が多いものの、物語の中心はピアノコンクールをとりまく人間模様だ。そういう意味でものだめカンタービレと被ってる。ちゃんと、千秋様とのだめっぽいのも登場するよ。



斜陽産業としてのクラシック音楽

『蜜蜂と遠雷』を読み進めるうちに思い出したのが二宮敦人『最後の秘境 東京藝大』という本。日本における音楽教育の最高峰、東京芸術大学に通う天才たちを取材した超面白いルポ。この本によると、学生としては頂点に上り詰めた才能と努力を併せ持つ選ばれし者でさえ、音楽で満足な収入を得ていくのは難しいという。それでも音楽から離れられない葛藤と、乗り越えるド級の努力。そしてほとんど報われないという儚さ。本作でもそうした視点でクラシック界が語られる場面がある。

なんでだろう。なんでクラシック音楽は「斜陽産業」なのか。

僕は結構クラシックを聴く。シンガポールにはクラシックとジャズを一日中流している素晴らしい地上波ラジオがあって、iPod nanoのラジオは常にそのチャンネルに合わせてある。日本にもお約束どおり経営は苦しいらしいけどクラシック専門ネットラジオ「Ottava」があるし、知る限り根強いファンがついている。

でもよく考えると、僕はクラシックを聴いていると言っているくせに、有名曲ばかり登場する本作を読み進めるにも不十分な音楽知識しか持っていない。つまり僕にとってのクラシック音楽とは、脳のザワザワを抑えて手元の作業に集中するための無料で手軽なBGMでしかなかったのだ。クラシック音楽に情熱の全てを捧げて技を磨く人たちへの敬意が欠けていた。読み進めるうちにそれに気付いた。



「こだわり」の衰退

インターネットによって音楽はタダ同然になっている。もちろん音質や演奏者の技量にこだわれば、タダ同然に聴ける音源では満足できないに違いない。でも、そこにこだわる人が少ない。まして、会場に出向いてお金を払ってまで生の演奏を聴こうとする人はもっと少ないだろう。才能に恵まれ、努力を惜しまない人たちが報われない状態になってしまっているのは虚しい、などと言っている僕もその片棒を担いでいるのだ。