世界はのっぺりと味気なくなってゆく

恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読んで本作の主題とは無関係なのだけど、「こだわりの衰退」がクラシック音楽が斜陽産業になっている原因という気付きを得てしまった。音楽にこだわりをもち、そこに投資して、時間を割いてでも会場に足を運ぶ人が減っている。クラシックに興味がある人は、インターネットでタダ同然に音源に触れられることでむしろ増えていると感じる。しかし皮肉なことに、手軽に音楽に触れられるために、逆に音楽の希少性・価値が逓減して、演奏者やアレンジにまでそこに投資するほどこだわりを持つ人も逓減している。これがクラシック音楽を衰退させているのではないか、という結論だ。



完全栄養食という白い粉

こだわりの衰退で斜陽になるのはクラシック音楽だけではないだろう。例えば外食産業。

ソイレントというアメリカ発のが有名だけど、日本でもCompという完全栄養食が話題だ。これらは、人間が1日に必要な栄養素を完全かつ簡単に「摂取」できる魔法の白い粉である。そこから「食事を楽しむ」という概念は完膚無きまで排除されている。こんなものが世界中で流行るということは、食事にこだわりを全く持ってない人がこの世には一定数いるということだろう。

何を隠そう僕もその1人だ。

僕だって何かを無性に食べたくなることは稀にある。海外生活が長いので、鮮魚や納豆や蕎麦が恋しい。でもそれは「たまに」でしかない。毎日の食事は、腹が減るから半ばしょうがなくこなしている単なる作業だ。食事を楽しむより、それほど好きじゃない野菜を積極的に食べることをよっぽど意識しているくらいだ。

僕にとって食事とは作業なので、最近の朝ごはんはプロテインの粉末とビタミン剤。特に運動を始めてからは食事に対して栄養摂取という意味合いが更に増した。シンガポールでCompやソイレントが手軽に手に入るなら、普段の食事は3回とも完全栄養食に変えてしまいたい。

「健康維持作業としての食事」に共感する人は僕の周りにちらほらいる。この流れだと、ホンモノのクラシック音楽を求めて会場まで足を運ぶ人が減っているように、こだわりのレストランまで足を運ぶ人も減っていくだろう。



グローバル化は均質化

他にも、UNIQLOやH&Mなどのファストファッション、IKEAやニトリなどの手軽な家具、新車販売の4割を占める軽自動車などなど。そこには「着る服が必要」、「収納が必要」、「移動手段が必要」という本質的な価値のみを満たせば、手軽で安いものが良いという「こだわりの衰退」がある。

これを推し進めているのはグローバリズム。

グローバル化とは、均質化だ。地球上どこへ行ってもマクドナルドでコーラが飲める世界。国籍・民族・思想信条の意味が薄くなって、誰がどこへ行っても同じことが出来る世界。どこの誰でも入れ替え可能にするのがグローバリズムなのだから、そんな世界では個人の「こだわり」はむしろ邪魔でときに排除されうる要素となる。グローバル化によって文化は色彩を失い、地球規模で人々の個性が希薄化している。

世界はのっぺりと味気なくなっていく。