コミュ障で組織に長くいるほど気まずくなる

僕はいわゆるコミュ障というやつなので、大勢でワイワイやるより一人で部屋にこもって静かに音楽を流して酒を飲んでるのが一番幸せだ。日本の生活に詰んだこんなコミュ障でも、海外に活路を見出して生き残っている標本もあるのだということを、日本で同じように困っている同志諸君に伝えたくてこんなブログをやってる。具体的に伝えたいのは「ここではないどこか」はたくさん存在するし、そういう自分にとって特別な場所を彷徨い続ける旅人みたいな人生もアリだということ。

本やマンガにも時としてそういう孤高の旅人が登場する。ムーミンにでてくるスナフキンや、ナウシカのユパ様、蟲師のギンコがそんな感じだ。ひとところに留まらず、留まれず、常に移動して見識を深めているようなキャラクター。そういうのに憧れる。偶然スナフキンに憧れるっていう友達がいてとても共感した。実はこんな価値観は特別じゃないのかもしれない。

グループトークについていけない

自分がコミュ障だなと思うのは、まずグループトークで軽くパニックを起こして意味不明なことを発言して場をしらけさせたり、相手を怒らせたり、バカにされたりすること。一対一であれば、大して親しくない人と当たり障りない感じで軽く会話することはできる。一対一であれば脳の能力を越えないのだと思う。ただそれがグループになった途端に、脳が足りずにオーバーヒートしてしまう。一定の流れの中でそれぞれのメンバーが言った内容を、流れとして理解できず、頑張って文脈をつなぎ合わせようと考えているうちに話題が流れ去ってしまう。話題や雰囲気が変わったのを、いちいち考えないと理解できないこともある。そして一番不味いのは、自分でもなんとなくズレてるなと思うような発言も、黙っとけばいいのに衝動を抑えられず口に出しちゃうところ。自己嫌悪で惨めになる。

それと、人間関係がはじまって最初のうちは耐えられるのに、その人と深い関係なるにつれてどんどん苦痛になる。普通は逆だと思う。親しくなればなるほど深い会話を楽しめるのだろう。でも、僕の場合は蓄積された過去の会話や、その人について第三者から聞いた情報など、会話を続ける上で考えなきゃいけない要素が多くなりすぎてどんどんダメになる。なので長く知っているけど価値観の合わない人とは、たとえ一対一でもオーバーヒートを起こす。オーバーヒートしない場合も、ぐったり疲れる。その後しばらくベッドから動けなくなるほどに。

表情から感情を読み取れない

会話を続けるのに僕だけなんでぐったり疲れるのか、色々考えた結果「表情を読むチカラ」が弱いという結論に至った。これが重症だと怒られていることに気付かない人もいるらしいけど、幸い僕はそこまでではない。でも例えば笑いながら話しかけてくる人がいたとして、それが冗談を言っているのか、自分をバカにして笑っているのか、会話の内容をよく考えて判断しないといけない。そしてたまに判断をあやまる。

これがグループトークになるともうパニックだ。全員の発言の流れを追うだけでも厳しいのに、各人どんな表情でそこにどんな意図をこめているのかまで認知するのは完全に能力の限界を超える。結果として、自分が全員からバカにされているような惨めな感覚にさいなまれる。

パーティなど最悪だ。音楽やギラギラしたライト。さらに多くの情報が入り乱れる中で会話をしないといけない。薄暗いと表情を読む能力はさらに下がり、目の前の相手が何を言いたいのか汲み取るのすら難しくなる。惨めな気分に潰されてトイレに篭るしか無い。または、同じようなコミュ障さんを探して、端っこで静かにしている。

組織に馴染むほどそこにいることがつらくなる

どんな関係も、初対面ではお互いおっかなびっくり探り合いから始まる。ところが僕の場合、ここから人間関係を深めていくのが上記のように苦手なので、相手が自分に対してどんどん慣れてくるのについていけず、僕だけいつまでも手探りで会話を綱渡りし続ける。このギャップは、付き合いが長くなるほど大きくなり、僕の惨めさは増していく。

Twitterで「用意していたテンプレートを逸脱すると会話が続けられなくなる」と書いている人がいて、とても共感した。毎日毎日、表情や文脈をいちいち分析して会話するのは非常に疲れるので「この人は今日は機嫌がよさそうだからパターン2で相手をしよう」みたいに決め打ちでかかるのだ。そして読みを外して気まずくなる。

こんな感じで、仕事とか趣味のグループなど、ひとつの組織に長くいるほど、日に日に気まずさと惨めさが増してつらくなる。だから仕事が続かない。そろそろ今の仕事も辞めどきだと思っている。でも大丈夫。ここではないどこかは必ず他にもある。そこを渡り歩きながら生き抜きたい。