「友達」になると求めすぎるので「知り合い」という距離感を大切にする

日本の実家では犬を飼っている。白のミニチュアシュナウザーのオスで、いまではすっかり老犬になってしまったけど相変わらず気立ての良い奴だ。僕がウツで働けなくなったとき、一時的に実家にお世話になった。その間は僕が夕方の散歩を担当していた。散歩と言っても犬自身がコンクリートのシミひとつまで覚えているので、僕はただ彼についていってウンコを拾う金魚の糞以下の役割だったのだけど。

彼の散歩ルートは5パターンくらいあって、それぞれ違う顔ぶれのご近所犬に出会う。それまで何年も両親が散歩に連れ出していたので、最初のうちは「同じ犬に見えるけど知らない兄ちゃんが連れている…」と怪しい目で見られたものだが、1週間もすると息子であるということが周知されてきて、それまでの人生で関わったことがないようなオジちゃんオバちゃん達と、道端で手短に会話するようになった。今思うとこの何気ない会話は非常にラクなものだった。

今日は当時の犬仲間から得た気付きを書く。

トピック限定の「踏み込まない会話」は平和だ

犬は犬、飼い主は人間どうしでご挨拶なわけだけど、話題はお互いの犬の健康状態や、地域の攻撃的な犬や工事中の道の情報などなど、犬のまつわる当たり障りないものばかりだった。僕のようなアラサー男がまだ明るいウチから市街地をブラブラしていたわけで、明らかに「なにかある人」カテゴリーなんだけど、飼い主のプライバシーには誰も決して立ち入って来ない。それが暗黙のルールだった。

今思うとこれは良好なご近所関係を維持するのにすごく大切なことだ。人はどうしても他人の比べてしまう生き物だ。同じ住宅地に住んでいたとしても、年収や家族構成、思想信条はぜんぜん違う。そんな者同士が、政治の話題や抱えている悩みなんかを持ち出したら、あっという間に衝突するトピックにぶち当たって翌日からの散歩が苦痛になるだろう。

でも「犬を飼っている」という共通点にだけフォーカスすれば、よっぽど攻撃的な人じゃない限り良好な関係を築ける。ウツでメンタル滅茶苦茶だった僕でも溶け込めたんだ。あの犬仲間の包容力には今思うとすごく救われていたのだと思う。当時の僕にとっては唯一の社会との接点だったのだから。

「友達」にいろいろ求めすぎていないか

その後しばらくして、僕は日本で生活することを諦めて海外を放浪し始めた。貧乏旅行には出会いが付き物。もれなく行く先々で「旅友」ってやつが出来た。当時はFacebook全盛期。短い時は飲み屋でたった一度会っただけの関係でも、Facebookで繋がりが継続していく。この感覚は新しくて夢中になったもんだ。

旅友との会話は、ご近所犬仲間と似ていた。お互いそれまで訪れた異国の安宿情報、夜行バスのチケットの買い方、郷里のお国自慢、母国語のフレーズを教え合ったり、話題は全て「旅人」にまつわるものに限定されていた。プライバシーには深く入り込まないのがマナー。

さて、誰しもそんな何年も放浪し続けるわけじゃない。時間は過ぎて、お互い故郷に帰ったり、僕のようにそのまま異国に住み着いた人もいる。僕は一時期、こうしてFacebookで関係が続いて気が合うと感じた人たちを、国境を超えて訪ねてまわるのにハマった。こうなるとすでに単なる旅の知り合いではなく「友達」としてお互いを認識して、その段階に人間関係が移行する。

そうすると知り合いには話さない、友達としての会話が始まる。これが僕は苦手だった。具体的には、旅人として当たり障りない話題に終始していた時と違い、異国で産まれ異文化で育った人たちを受け入れる余裕とエネルギーが足りなかった。自分の感じ方や思想信条とは異なる視点から繰り出される様々な感情。それは時として攻撃的で陰鬱だ。それをありのままに受け止める余裕・包容力がなかった。なお、残念ながら今でもない。

僕と本当に気が合って、価値観や感情を共有して心地好い人というのはめったにいない。貴重なそういう人達とは、数人しかいないけど、今でも良好な関係が続き、将来のことや、お互いを取り巻くゴタゴタを話してはエネルギーをもらっている。ただ、旅人として出会ったランダムな人達と、誰でも深い関係を築けるわけじゃないんだ。

「知り合い」という距離感の大切さ

残念ながら、当時の旅友との現実世界での交友はほとんど途絶えてしまった。

もし今後、また世界を放浪することになったら、安易に友達のフェーズに踏み込まず、犬仲間が僕に接してくれたように「当たり障りなく清々しい関係」をもっと長く維持するようにしたい。そうすればもっと、当たり障りない範囲ではあるけど、多くの人からいろいろな学びを得られると思う。その後時間が経って本当に価値観が合うことがわかったら、自然と友達のフェーズに入れるに違いない。それまではずっと「知り合い」でいいんだ。

知り合いというと、距離があって寂しいような印象を受けるけど、周りの人達がみんな友人である必要はない。平和に暮らしていくためには「良い知り合い」を沢山もっていることが大切だと思う。