価値観が合わない人たちに無理して共感を示すために台本が必要な話

日本で働いていると、避けて通れないのが宴会。僕は仕事が絡む酒の席が苦手だ。ひとりの上司とサシ飲みなら、楽しめないまでもそれなりに振る舞うことが出来る。だけど、忘年会など部署レベル、全社員参加の決起会とか大規模な宴会になると寝込むほどに疲弊する。空気を読み間違って不適切な言動をしてしまったこともある。

こんな仕事の関係よりはマシだけど、友達主催の集まりに参加するのも苦手だ。別に人見知りというわけではなく、その気になれば比較的気さくに友達を作って一緒に飲みに行ったりできるんだけどな。

今までは、ガヤガヤした喧騒の中で相手の声を聞き取れないから疲れるんだと思っていた。雑音から必要な音だけ聞き分ける脳の機能を「カクテルパーティー効果」という。これがうまく働かないのはADHDの有名な特徴だ。

でもそれだけだと、上司とサシ飲みなら耐えられる理由、仕事が絡まない友達であっても3人以上の会話で疲弊する理由が説明できない。今日は価値観が合わない人たちとの会話が苦手なことについて書く。



相手のカテゴリごとに台本がある

僕は頑張れば空気を読むことが出来る。相手が何を言いたいのか、自分に何を求めているのか把握できる。ただ、普通の人は脳がそこら辺の「基礎情報」を自動更新してくれるのに対し、僕は相手の表情をジッっと観察し、言葉の抑揚や、過去にした会話の記憶なんかを総動員して、論理的に適切な振る舞いを判断している。

基礎情報取得に毎度こんなに労力を割いていたんじゃ、肝心な会話の内容に頭がまわらない。なので相手のカテゴリに合わせて会話のテンプレート集のようなものを用意している。今日はこれを「台本」と呼ぶ。

友達用台本、家族用、彼女用、後輩用、先輩用、取引先用などなど、いままでやらかした大量の失敗を元に「このカテゴリの人が相手ならこういう内容を言っとけ」みたいな用例集といったところだ。だから台本通りにうまいこと進めば、それほど疲弊せずとも必要な人間関係をこなすことが出来る。

台本から少しくらい逸脱した展開になっても、 初心に戻って相手を注意深く観察すれば、さほど取り乱すことなく「真人間っぽく」振る舞える。相手が1人の場合はね。



台本の併用はできない

ところがこの台本、同じ場面で2種類を併用できない。これが、3人以上の会話が苦手な原因だ。

先輩と後輩が混ざった会話、上司と取引先が混ざった会議、友達が初対面の人を紹介してくれた場合などなど、2つの台本が同時に必要になった時、真人間の「化けの皮」が剥がれる。

逆に、複数の後輩、複数の上司、全員気心の知れた友達だけで構成された集団なら、誰に対しても同じ台本で話せるので比較的まともに振る舞える。

あぁ、めんどくさい。

同じ相手に使えるの台本は1つだけ

もう一つ、台本を使って真人間のフリをするのが厳しい場面がある。同じ人に場面によって台本を使い分けなければならない状況だ。

わかりやすいのは仕事の上司と飲みに行った場合。普段は仕事の関係なのに、飲みの席では友達のように振る舞うことを求められる。これが器用にできない。飲みの席だからといって完全に友達台本を適用するわけにはいかない。無礼講といえど、友達レベルで上司に接しちゃダメなことくらいわかる。

とはいえプライベートを押し付けてくる上司に、もはや上司台本では対応しきれない。この時点で頭を使って相手の意向を汲み取る元気が枯渇している。結果、全てが面倒くさくなって、投げやりに空気読めない言動をしてしまう。

人と関わるのが面倒くさい

僕にとって人付き合いとはこんな風に面倒くさいものだ。台本を使ってる時点で本音で喋っていないから、頑張って会話してもそこから得られるものは少ない。

突き詰めれば、自分と違う価値観に無理して共感を示すために台本がいるのだと思う。本当に価値観が会う人になら、思ったことをそのまま口に出しても相手を不快にさせることはないだろう。実際そういう貴重な友達と言える人も少ないながらいる。ありがたいことだ。

とはいえ気が合わない人ともなんとか付き合っていかないと経済システムの中でサバイブできない。苦肉の策として、相手のカテゴリごとに会話のテンプレートを作ってラクしているという話でした。