「生き甲斐」は苦労ばかりの人生を無理やり肯定するための概念

集中力がないのはサラリーマン稼業に致命傷だ。周りのADHDっ気のある人達も、なんだかんだ仕事が続かなかったり、無理してがんばって二次障害のうつ病で苦しんでたりする。

社会に出る前に自分がサラリーマンとして仕事が出来ないと自覚できれば、あらかじめ持続可能な進路を模索することもできる。ところが学校のお勉強は、過集中を駆使して一夜漬けすれば平均より上の成績が取れちゃうんだよ。そのため「ちょっと変だけど俺はやれば出来る子」みたいなカンチガイ野郎のまま、丸腰で社会という大海原に漕ぎ出すADHDは多い。そしてコケる。はい僕のことですよ。

日本人社会では考え方や行動の個性が強いと「普通」の波に乗って生活できず「社会の常識」に潰される。これを「大衆圧力」と呼びたい。英語だとpop...

なにか秀でた分野で飯を食っていければいいんだけど、そんな天才型ADHDを僕はまだ知らない。だから多くの人は苦しみながらも雇われの身でこの世をサバイブすることになる。やれやれだぜ。

生き甲斐は苦労ばかりの人生を肯定するための概念

発達障害の適職について検索すると「ファッションデザイナー」「カメラマン」「画家」「声優」「経営者」 などと列挙されている。そんなんで食ってける才能があるなら最初から苦労してないんだっつーの。

そもそもの話、仕事が出来ないくせに稼ぐ手段にこだわるから人生が息苦しくなる。雇われ仕事が得意じゃないなら「おカネのため」とズバリ割り切って、仕事に対する見栄ややり甲斐みたいな付属物は一切合切諦めた方が気が楽だ。

僕は何回か転職しているけど、新卒で入った大企業でコリたので、その後仕事を選ぶ絶対的基準は「ラクかどうか」。ラクな仕事でありさえすればオトコ独り食べていける程度の給料でいいし、仕事の内容にもこだわらない。理想は社内ニートだ。

東南アジアには「給料が安いけどグダグダで楽な仕事」という日本にはない生き方がある。 僕はうつ病で日本の会社を退職した後、Skype英会...

日本ではコンビニのアルバイトでさえ「完璧な接客」を求められる。ところが自殺率で日本を凌駕する韓国でさえ、コンビニ店員はスマホでゲームする合間にレジ打ちしてやってるノリ。南国シンガポールは言わずもがな。海外のコンビニに行けば日本の労働環境がいかに異常かわかる。

「過酷な現状維持」ほど虚しいことはない。過集中を勉強に使える人は、日本で労働に耐える苦労を英語を学ぶエネルギーに振り替えて、今と同じ職種で海外ダラリーマンになった方が幸せになれる。労働環境が異常な日本を出れば社内ニートになることも夢ではない。

たまに日本に帰国して朝の満員電車に乗ると、社会人になりたてだった頃を思い出す。当時は東京の郊外に家があって、都心まで通勤していた。 学...

時間に余裕があって楽しいと生き甲斐はいらない

仕事だけが生き甲斐な人は、僕のようなダラリーマンをあからさまに見下してくる。そういう「労働依存症患者」からの批判は、気にするだけ無駄。彼らの働き方は病的なので、そのうち身体を壊して勝手に退場していく。それまでせいぜい僕の分まで働いてくれたまえ。

やりたいことはお金を払ってやればいい。そのための軍資金は、出来るだけラクに手抜きして稼ぐのが賢いだろう。資金調達ですでに疲れて本番を楽しめないのでは本末転倒だ。

毎日定時きっかりに退勤して、青空の下でビールを飲んで、家に帰ってまだ18時過ぎ。そこから5時間趣味に没頭しても日付が変わる前に寝られる。ありがたいことにテニスやスケボーを一緒にやってくれる仲間にも恵まれている。

そんな感じで毎日なんとなく楽しく暮らしていると、だんだん生きている目的とか考えなくなってくる。生き甲斐みたいなのは、苦労ばかりの人生を肯定するための概念じゃないか。

生きるために苦労なんてしなくていい。持てるエネルギーは楽しむために使うのだ。