ウザくなったら全部ぶん投げて裏路地でビール飲むところからやり直せば良い

たくさんの子供たちが自殺する日としてすっかり有名になってしまった9月1日。今年も図書館や教会の心ある人たちが、自殺しようとしている子供たちの受け皿になろうと声をあげていた。

僕も小・中学生の時、超絶学校に行きたくなかった。まぁ高校も大学も行きたくなかったし、今も会社に行きたくないんだけどね。。。

そんなことはどうでもいいとして、子供の頃にこのような大人の呼びかけを知っていたら、当時小学生の僕は図書館や教会に助けを求めただろうか。

絶対に求めなかったと断言する。

小学校低学年であっても、かなり的確に社会の仕組みを理解している。

所属する組織「小学校」を放棄すると、その後社会から脱落したとみなされる。そのような落伍者になると、同時に家庭にも居場所がなくなる。

親から「条件付きの愛」しか受けずに育った子供は、こんな風に親が望む子供を演じ続けないと家族の庇護を受けられないことを良く知っている。

僕は家も学校も親も教師も誰も信用できなかった。学校の評価がそのまま家庭の評価なのだから、みんなグルだ。昼も夜も僕のことを見張って、気に入らないことがあれば必要な援助を断つ残忍な敵。

それが僕が子供の頃、周りの大人に抱いていた印象だ。

死ぬほど行きたくない小学校をサボって、受け入れを表明している図書館にかくまってもらう。そこで「かいけつゾロリ」でも読んでいるうちに、学校から親に連絡がいく。その瞬間、僕が帰るべき場所がこの世から永遠に消滅する。

こんな世界なら死んだほうがマシだ。

これは小学校低学年であっても合理的な思考によって行き着く結論だ。



無条件の愛を知らない

こんな破滅的な思考になってしまうのは「無条件の愛」を知らないからだ。

大人が望むような振る舞いをしなければ生活に必要な援助が得られない。そう思っているから、誰も信用せず、誰にも支援を求めず、どんなにツラくても文字通り死ぬまで我慢する。

僕は「無条件の愛」っていう概念を今でも獲得できていない。稀に周りの人から無条件の愛を受けても「重い」「なにか裏があるに違いない」と感じるし、もちろん他人に愛を与えることも出来ない。

「無条件の愛」を知らないまま大人になると「周囲の期待」から一生脅迫され続ける。

周りが望む行動をしないと生きられない。誰も信用せず、誰にも支援を求めず、どんなにツラくても文字通り死ぬまで働くしか生きる術がない。

僕がうつ病になった原因もおそらくこれ。ニュースになる過労自殺の被害者たちも、僕と同じような育ち方をしたんじゃないかと感じる。



独りで生きられる今がしあわせ

そんなわけで僕はうつ病になって会社を辞めて、1年くらい途上国の裏路地でブラブラしてた。どこの組織にも所属せず、誰も僕のことを知らず、なにも期待されない世界。

そこで僕は人生最大の発見をした。

どんな組織にも所属せず、誰も僕を愛さず、僕が誰も愛せなかったとしても、21世紀は「独りで楽しく生きられる時代」なのだ!!

趣味とSIMカードがあればネットの世界に居場所ができる。趣味が高じればネットから派生して、現実世界ともつながりが持てるかもしれない。

しかもそんな現実世界の人間関係や組織がウザくなったら全部ぶん投げて、また裏路地でビール飲むところからやり直せばいいんだ。あそこが僕の人生のセーブポイント。

21世紀は幸せになるのに「他人」も「組織」も「愛」も必要ない

いま、僕は33年間の人生で、一番気楽で、一番恵まれた状態にある。