社会に所属しない人生を描いた映画に癒されるけど最後まで観られない

9連休の7日目。ついにバンコク最終日。夕方の飛行機でシンガポールへ帰る。

でも実はそんなに残念な気分でもない。

もし明日から仕事だったらこのままチャオプラヤ川に身を投げる勢いだけど、それを見越して土日を確保してある。まだブログに書けてない体験をいっぱいして、写真の編集も溜まってるし、そんなクリエイティブな活動に丸2日の自由が与えられていると思うと、それはそれでワクワクする。

さて、今日書こうと思ったのはこれじゃない。

ADHDの特性なのか、集中力が無くて僕は映画が苦手だ。

映画館に行くと、本編が始まる前のコマーシャルでお腹いっぱいになり、さらにガンガン響く大音量に疲弊する。ドルビーとか5.1チャンネルサラウンドとか、各種音響システムは僕の敵だ。

そこいくと、アンパンマンやドラえもんみたいな子供向けアニメは優れている。1話が5分ちょっとで完結するし、前のお話をちゃんと覚えてなくても各話を単独で楽しめる工夫がある。

きっと、落ち着きにがない子供でも楽しめるように考えているのだろうし、僕はそんな落ち着きのない子供のまま歳だけとってしまったというわけだ。

そんなこんなで、僕にとって映画館は苦痛でしかないのだけど「これは」と思う作品は家でアンパンマン方式で楽しむこともある。そういう映画が発生するとiTunesで300円で借りて、5分ずつに分けてレンタル期限である48時間に分散して観るのだ。

定型発達の人からすれば狂ってると思うだろう。

でも何もしたくない気分の時に、大量のビールと肴を買い込んで、土日一歩も外に出ずにチマチマ映画・筋トレ・ストレッチを5分ずつローテーションするのは、僕にとって癒しだ。

僕が気にいる映画は、社会に所属しない時間を描いた作品が多い。

今日は飛行機に乗ることだし、この辺の価値観について語ろうと思う。

映画「タイタニック」の前半が好き

まだイケメンだったころのデカプリオ氏が港町でポーカーに勝って、そのままでは死ぬまで乗れないであろう豪華客船のチケットを手に入れる。

どこの社会にも属さず、行き当たりばったりのその日暮らし。

でも画家であるというアイデンティティはしっかり持って生きている。イギリスと大陸ヨーロッパを自由に放浪するデカプリオ氏の人生は、僕にとって理想だったりする。

それで船上のご令嬢ローズに恋をし、無事彼女をゲットして順風満帆かと思いきや、船が事故って大変なことになる…のだけど、正直毎回最後まで観られない。その前に48時間経っちゃうのと、ぶっちゃけローズの裸を拝めた時点で満足。

せっかくどこの国の、どんな社会からも自由でいたのに、ローズに恋したことによって守るべき存在が発生してしまった。これはダルい状況だ。

そこから先は、面倒くさい人間関係に絡め取られたがために、身を滅ぼすデカプリオ氏を見てられない。

ジブリ「魔女の宅急便」の前半が好き

キキが故郷を離れるシーンが好きだ。慣れ親しんだ街が小さくなっていく。そしてまだ見ぬ新天地に期待が膨らむ。

僕は国際線の飛行機に乗ると「ルージュの伝言」が脳内再生される。

あと、箒に乗って旅する道中も好き。

途中でチャラそうな街で占いで生計を立てるギャル魔女に出会うんだけど、これがまた良い。彼女の立ち振る舞いと彼女の街を見て「ここは自分には合わない」と直感するキキ。

そういうのってある。

「この街は合わないな」っていう勘は結構当たる。

逆に、牛に起こされて台風一過の青空に映える時計塔の街に心奪われるシーン。まだどんな街だか知らないにも関わらず、直感でこの街に住もうと決める。

そう、海外移住する時って、そんな勢いが重要。いろいろネットで情報を漁って、現地にコネ作って…とか始めちゃう人は結局移住せずに終わる。

魔女宅は、パン屋のおソノさんに世話なりながら画家のウルスラさんと仲良くなり、自分の弱い部分と向き合うシーンまでは好きだ。

ただ、魔女宅の後半は面白くない。

どんどん大衆に絡め取られ、孤高の魔女から「街の魔女」になっていく。守るべき存在も出来て身動き取れない「日常」に堕ちる。それが勿体なくて、魔女宅も最後まで観られない。

映画「キャストアウェイ」の前半が好き

国際物流の雄、Fedexに勤めるトムハンクス氏が、事故に遭い無人島に流れ着く。そこで見事なサバイバルを展開するんだけど、その過程はゾクゾクする。

自分以外に誰もいない世界っていう非日常が魅惑だ。

この世のストレス原はほとんど人間関係だからね。命に関わる生活インフラと引き換えに、人間関係から完全に解放されるという主題は、まさに僕みたいな内向的な人間には興味深いトピックだ。

ところがひとたび生活の基盤が整うと、トムハンクス氏は人恋しさに苦しむようになる。

たぶん、この人恋しさ、人の輪の中にいる安心感という概念を僕は持っていない。せっかく人間社会に依存せずに衣食住が整ったのに、クソみたいな人間関係に再び恋い焦がれる意味がわからない。実際、彼なき間に、彼の人間関係はクソみたいになっている。

人恋しさを描き始めてから先は見るに耐えない。

次の休暇はベトナム・ホーチミン

じゃあ僕が無人島に住みたいかといえば、ちょっと憧れるけど今の時点ではNoだ。

現状、異国の大都市で外国人として生きるのが1番幸せ。

外国の大都市で外国人として生きると、社会的に孤立しているにも関わらず、物質的豊かさはおカネで解決できる。

これは無人島生活と都会の暮らしの、まさに良いとこ取り。完全なる自由を楽しむことができたバンコクでの6日間は、非日常とも言える刺激的な時間だった。

次はベトナムのホーチミンで休暇を過ごそうと思う。

たった6日だけど、バンコクは土地勘が付きすぎた。知り合いや、馴染みの店も出来た。たぶん、すぐにまたここに戻ると、途端に人間関係と結びついた「日常」が始まってしまう。誰も僕を知らない街で、何も知らない状態から、全く新しい暮らしを始めたい。

デカプリオ氏のように放浪し、キキのように新天地を求め、トムハンクス氏のように生活基盤を整えていく。そんな流浪の日々から僕は「生きる喜び」を得られる。