この過酷な社会で発達障害が生き残るために「おれたち」と「あいつら」の隙間を狙う

シンガポールは心の底から住みやすい場所だと思っているんだけど、中にはそう思わない人がいて、何がそんなに良いのかと言われることがある。

そんな時は「透明な空気のように存在できるから」と答えている。

誰も僕の存在を気にしないし、僕も周りの誰のことも気にしない。まさに、そこら辺を漂っているのに視界に入らない、透明な空気のように生活することができる。

もっと具体的に言うならば、最低限常識的に振る舞っていれば、誰からも何も文句を言われない毎日を送ることができる。そういうことだ。

僕は極端に内向的な人間なので、意図しない他人との関わりがとてもストレスになる。

例えば、忘年会・新年会・お花見・お盆やクリスマスみたいな、最低限の行事に関わらないと所属するコミュニティから排除される、無言の同調圧力。かといって、どこのコミュニティにも属さないで気楽なお独り様いると、それはそれで様々な集団から後ろ指をさされる排他的な社会。

わかりやすく日本で言えば、こういう張り詰めた雰囲気がとても嫌い。僕が素のままで生きられる空間が、どこにもないような孤立感にさいなまれる。

理想とするのは、周りから排除されずに一匹狼として暮らす静かな毎日。

これにはちょっとしたコツがあって、人間社会の「おれたち」と「あいつら」の隙間を狙うのが良い。

仲良くなることよりも排除されないことを目指す

数年前に流行った「嫌われる勇気」と言う本がある。それまで全く馴染みがなかったアドラー心理学を、一撃で日本に浸透させた名著。韓国などでもベストセラーになっていたし、昨今の世界的な哲学ブームを牽引した作品でもある。

本作は哲学者と悩み多き若者の対話形式で物語が進んでいくんだけど、この中で僕が好きなエピソードがある。

物語に出てくる哲学者が学生だった頃、彼は友達を作ろうともせず図書館で興味が赴くままに本を読み漁っていた。そんな友達ができない少年を心配した両親は、ある日担任に相談に行った。すると担任はこういったと言う。

「彼は友達を必要としないのです」

その一言に、両親も彼自身も救われたと言う。好きな事に没頭し、特に必要がない人間関係に翻弄されない平穏な青春。そんな若者がいても何の問題もないと、彼の担任は認めてくれたわけだ。

ここで重要なポイントは、周りと関わらずに図書館にこもっていた哲学少年が、学校社会から排除されていないところだ。

正直、同調圧力が強い日本社会でこれを実現するのは難しいと思う。でもどうすればがんじがらめの日本の学校でこのような桃源郷築けるのか考えると、次のようなことがわかる。

  • 「おれたち」と言う強い絆で結ばれた人間関係に所属しない
  • 「あいつら」と他の人間関係から排他的に扱われる集団に関わらない

要は徹底的に群ずに、一匹狼を貫いたからこそ、そういった雑多なグループの狭間で空気のように存在できたんだ。無駄に仲良くしようと努力しなかったからこそ、いかなるグループからも排除もされなかったと言うのはとても興味深い。

社会から排除されない技術は海外生活で必須

この気づきは、海外生活を送る上でとても役に立っている。

平和に海外生活をおくるには、地域社会に溶け込む努力よりも、むしろ差別を逃れ地域から排除されない工夫が大切だ。そのためには民族的な風習、宗教行事、政治的な思想信条にこだわらないことが求められる。

一度でも「おれたち」という結束の濃い集団に取り込まれると、必ず自分らを「あいつら」と排除する対立勢力が台頭してくる。後はあてどない小競り合いが延々と続く。

不毛だ。

どこの国の風習にも従わず、いかなる宗教行事にも参加せず、全ての年中行事を無視しても、誰も気にしない。シンガポールではそういった「透明な存在」が認められる。

言うなれば、シンガポールにおける「おれたち」と「あいつら」の隙間は、ガバチョとすごく広いんだ。だから僕のような外国人が1人ぐらい紛れ込んでも誰も気にしない。

シンガポールはまさに一匹狼が外国人として暮らすには、世界最高の場所だと思っている。