記念日を覚えられないと人間社会に混ざれない

今年もクリスマスソングが五月蝿い季節がやってきた。

寒くなると人恋しくなるのは人間の本能なのか。日本ではこの時期になると妙にソワソワして、彼女を作ろうと奔走したものである。

懐かしいのう。

そこいくとやっぱシンガポール生活は最高だ。人口密度が世界一の南の島で、毎日汗だく。どこもかしこも人間まみれで暑苦しさしかない。そんな状況でクリスマスコンテンツに触れ、ツリーやイルミを見ても「なんか買え」っていうメッセージしか受信しない。

そう考えるとクリスマスとは寒い場所で人間が人恋しくなる本能をハックして、お金を使わせようとする意地汚いマーケティング戦略なのだ。各地を彩るイルミネーションも、豪華なツリーを飾るのも、すべては人を集めて要らんモノを売るため。

そんな商業主義にまんまと乗せられて、東奔西走していた僕はなんと滑稽だったことか。

性愛の通過儀礼

さて、韓国旅行から帰ってきたブログ仲間のJessica嬢と飯を食いに行ったんだけど、そこで韓国の恋愛事情について話を聞いた。

なんでも韓国文化では愛の告白からの1年間はカップルイベントが目白押しで、その度に男子はサプライズを企画しなきゃならず、しかも女子はそれを相当期待して待っているという。

ヤバい。

相手の性別を無駄に意識せず「ひとりの人間」として接するためには、少なくとも大学生になる前に一通り不純異性交遊をこなしておく必要があると思っている。これは僕の勝手な考えだけど、この「性愛の通過儀礼」を達成しないと、自分の性に卑屈になったり、相手の性別を異常に気にする大人になる人が周りに多い。

批判覚悟で言うなればシンガポールに移住して、見合い結婚するまで貞操を守るイスラム教徒に多く接するようになって、思春期の不純異性交遊の大切さをより確信している。

性愛の通過儀礼のハードルが異様に高いということは、性に屈折した大人が多いということ。韓国が世界ワースト4のレイプ大国なのは、男性に負担が大きい記念日文化が原因なんじゃないか。

記念日を覚えられない

僕は記念日を覚えるのが絶望的に苦手だから、もし韓国で育ったら通過儀礼をこなせなかっただろう。

時間感覚が曖昧で、昨日から明後日までしか認知できない。前後にぼんやりと霧のかかった時間軸の中で、前後不覚のまま毎日毎日のっぺりと生きている。

またオーバーブッキングをやらかした。友達とテニスする予定だったのに、晩飯食う別の約束をしてしまった。こういう自分の無能を思い知る失敗があると...

だから僕にとって1年に1回のイベントほど意識するのが難しい事は無い。

自分の誕生日ですらどうでもよく、祝ってもらっても特に何も感じない。たまに誕生日が過ぎていたことに気付かず、書類に生年月日と年齢を書く時に初めてハッとしたり。

そんなんだから、日付指定の記念日や季節の行事が苦手。僕にとっては昨日も今日も明日も明後日も、全く同じのっぺりした1日でしかなく、日付指定でバカ騒ぎを強要されたり、お金を払えと言われるのが苦痛で仕方ない。

会社の忘年会や花見みたいなやつね。

人間社会に混ざらない

こんな価値観を持っていると、正直人間社会に溶け込むのが難しい。

コミュニティに所属するためには、彼らが伝統としている行事を一緒にこなして、同じ釜の飯を食う必要がある。例えば地域の祭も、もともとは社会のまとまりを維持するための装置だった筈だ。

記念日や季節の行事に参加しないと、どこのコミュニティにも混ざれない。

でも最近はそれが心地よかったり。

どこの文化にもなじまず、どこの風習にも従わず、どこのコミュニティにも所属しない、完全なる一匹狼。逆に言えば、いかなる同調圧力からも自由で、組織の圧力をはね返したとしても何も失うものがない。

人は社会からの束縛に不自由を感じる。最近の僕はいかなる束縛からも解放されて、自由気ままを楽しんでいる。この気楽さを手放すつもりはない。