発達障害の周りには発達障害が集まるけど、メンヘラ同士で容易に支え合うことは出来ない

僕は社会人になってうつ病になり、自分が発達障害なんじゃないかと自覚した。でも人生を振り返れば、遥か幼少の頃からそういえば周りには同類っぽい人が多かった。

テンションが上がると所構わず大声出す人とか、旅行にいくとパスポート無くす人とか、2人で酔って家に遊びに行くとゴミ屋敷だったりとか。小学生のころ「友達」の家に呼ばれていくと、彼は1人でファミコンに熱中し始めて、つまらないので途中で帰ったけど、それにすら気付かれなかったこともある。いま当時の画像を脳内再生するに、アイツは過集中にハマっちゃったんだろうな。

類は友を呼ぶとはよく言ったもんだ。

発達障害は発達障害のそばにいると安心する。僕自身もそういう傾向があるからこそ、無意識に同類を遊び相手に選んできたんだろう。

変人は自分と同じような変人を批判しないしね。

発達障害は話を「聞く」能力を身に付けると「友達」ができる

僕は20代中盤でうつ病に苦しんだ。発達障害の二次障害で鬱になったと確信している。それから27歳で回復するまで、まさに地獄の5年間だった。

それ以降、二度と鬱にならないように人生の全てを変えた。仕事も住む国も、付き合う人たちも。

なかでも1番効果を実感したのは、コミニュケーションの方法を変えたこと。それまでは喋りたがりで、俺が俺がと無用にグイグイ会話に割り込んでは、場の空気を乱すような迷惑キャラだった。

これをまずは自覚して、話を聴くように心がけた。

それで何年かして、やっと黙って人の話を聴くことに慣れてきた。そしたら次は「いくさんに話を聴いてもらって良かった」じゃなく「いくさんと会話して良かった」って思ってもらえるように工夫するようになった。

要は基本的に相手の話を聞くけれど、要所で僕が感じたことや肯定的な意見を、手短に述べるようにした。ただし、無下に相手を批判したり、上から目線で要らぬ忠告をしないように心掛けている。

割合としては8対2で相手の話を聞くような感じ。その合間合間で2割肯定的な自分の考えを表明するれば、相手も一方的に話を聞いてもらったと言う感想ではなく、あくまでも対等に会話したと思ってもらえる。すると引け目が無いので、次からも何か思うところがあれば気軽に僕に話しかけてくれる人が増えていく。

やっぱりどんな形であれ、人から必要とされるのは嬉しいし、社会とつながっている一体感も得られる。

それが僕にとっても幸福なことなのだ。

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発達障害カップルは共依存になりやすい。

話を静かに聴ける能力を会得して以来、人との関わり方が安定してきた。どういう風に他人とコミニュケーションすれば良いのか、自分の理想なスタイルを獲得できたと思っている。

時にそんな話し相手は、僕好みの女性だったりする。だから過去にはそのような話し相手と男女の仲になったこともある。

ところがこれが長く続かない。

なぜならば発達障害同士で付き合うと、高確率で共依存に陥るからだ。

「共依存」とはどういう関係なのか。僕はメンタルヘルスの専門家ではないので、詳しくはウィキペディアを見て欲しい。

でも数々の実体験をもとに簡単にまとめるならば、相手が困れば困るほど、僕もそのはけ口の話し相手として必要とされ続ける状態。こんな状態では僕も相手がより困る方向に無意識に誘導して、相手が結果的に僕をより強く求めるように操作してしまう。相手が困れば困るほど、自分の価値が上がっていくのだから。

こんな複雑な心理操作を、無意識にやってしまうものだから、自分でも恐ろしくなる。

そんなわけで、メンヘラ彼女と共依存に陥ると、不健康な関係が急速に蓄積し、あるポイントで劇的に関係が崩壊する。

批判を恐れずに言うならば、「メンヘラカップル」は潰し合うことはあれど、支え合うことは出来ないと思っている。

発達障害は「友達」の壁を飛び越えてくる

発達障害の傾向がある人の特徴として、人との距離感が極端ってのがある。

具体的に言えば、まだ知り合ったばかりなのに「友達」と言う重要なステップを飛び越えて、いきなり親友や彼女へ最速で昇格しようとするところだ。

僕自身も覚えがあるし、その心はとても理解できる。

発達障害は相性の良い人と悪い人が、あまりにもハッキリしすぎている。そして相性の良い人と言うのはとても貴重な存在だ。僕に関して言うならば、1000人に1人位しか積極的に友達でいたい人はいない。

そんなんだから、極たまに自分と価値観が合って「お前は間違っている」「そんな言動は今すぐ止めろ」などと言わず、ただ静かに側にいて個性を認めてくれる人に出会ったならば、なんとしてでも関係をつなぎ止めようと必死になってしまう。出来るなら、その人の特別な存在でありたい…。

そんな焦りから、一気に関係を縮めようとしゃかりきになり、本来あるべき人間関係の熟成期間をすっ飛ばして具体的な行動に出る。

ところがそれは多くの場合逆効果だ。

それなりに社交性のある発達障害だとしても、そこは「発達」に「障害」があることに変わりがない。性格に未熟な部分があるので、そのような少し病的なアプローチをきちんと捌けず、これまた劇的に関係が破綻する経験を幾度と無くしてきた。

発達障害は親しい人ができると、どっぷりのめり込んでしまい、良い関係を維持するのは難しいと言う発言がTwitterで話題になっていた。 ...

発達障害は支え合い難い

こんなにも長々と語ってきたのに、絶望的な結論で申し訳ない。

でも、自分に発達障害の傾向があると思うなら、今ある貴重な人間関係を壊さぬよう、慎重に振る舞うことが賢明だと痛感している。

発達障害はやはり人間性が幼い。

前にも書いた通り、体が大人で知能も大人にもかかわらず、そのメンタリティーや価値観はずっと少年少女のままだ。僕個人的に言うならば、中学校3年生〜高校1年生くらいから全然成長していないように感じる。

人間関係において、特に男女の関係においての認知能力は、思春期特有のpuppy loveでしかない。

例外的にうまくいっている「発達障害カップル」は、ある程度年齢を重ねてから出会ったケースが僕の周りでは多い。さらに子供をもうけていないご家庭が多いと感じる。

幸にも不幸にも、我々発達障害がこの厳しい社会の荒波で生き残っていくためには、自己分析を的確にすることに尽きる。

僕ができるだけ個人的なエゴを排除して自己分析した結果は、残念ながらこのような失望すべき内容だった。ただその事実を的確に日本語にして、このような形で読者の皆様にお届けできるのは、過集中や執拗なまでの「こだわり」の賜物でもある。

発達障害は良くも悪くも持てる能力に偏りがあるので、生まれながらに神から与えられし自分の得意能力を客観的に意識して、そこで一点勝負していくのが幸せの最短距離だと確信している。