日本国内はデフレのまま、稼ぎたい企業・個人は海外進出するのが日本人全体にとって幸せかも

10年以上保育士をしているのに手取りが15万円という記事をTwitterで見た。保育士資格を持っている人はたくさんいるのに、給料が安すぎて割に合わず、実際に現場で働く人が少ないという。

ホリエモン氏の様に「誰でもできるからだ」という意見もあるけど、少なくとも子供が嫌いな僕にとって保育士は就けない仕事だし、立派な資格業でもある。

こういう日本の状況を見ると「デフレだなぁ」と思う。

保育士さんのインタビュー動画を見ると、10年以上給料が増えてないのに転職する気はなさそうだ。生活は苦しいけど、とりあえず生きていくには問題ないということか。

日本経済は世界でもかなり特殊な状況にあると思う。

今日は日本とは真逆にインフレ状態にあるシンガポールに移住して、僕が感じたことをまとめる。

インフレ国家に移住して感じたこと

僕はフォーファン(河粉)という中華餡掛け麺が大好きなんだけど、6年前に初めて食べて魅了された時より、160円値上がりしている。これは6年間で30%も値上がりしたことになる。電車やバスの運賃、家賃、食費や電話代に至るまで、シンガポールでは全てのモノやサービスが、ものすごい勢いで値上がりしている。

だから仮に僕の給料がこの6年間増えなかったとすると、確実にシンガポールで生活が立ち行かなくなり、帰国の憂き目にあう。

これはシンガポールで生まれたシンガポール人とて同じだ。

彼らがお金に貪欲で、チャンスがあればより良い給料を求めて節操なく転職を繰り返していくのは、現実問題この過酷なインフレ社会で生き残るために他ならない。

シンガポールはグローバル化をそのまま体現したような国だ。

英語が公用語なこともあり、能力があれば外国人であっても現地人を押し退け、この地で良い職業に就くことができる。逆に言えばシンガポール人であっても、世界中の優秀層とガチンコバトルをして勝ち続けなければ、生きていくことができない。

自分の国なのに。

建国から僅か50年で世界の先進国に肩を並べる存在になったシンガポール。それは自国民にこのような負担を強いてきた結果でもある。

もちろんグローバル化の波に乗り、世界中から集まってくる一流の専門家と切磋琢磨して、世界規模でバリバリ自分の価値を上げていくシンガポール人は多い。なんといっても英語と中国語がネイティブなのだ。そこに専門性と学歴が加われば、世界中のほとんどの地域で天下無双であろう。

でもその陰で、生まれ育った自分の国で、グローバル化の渦に沈んでいく人も多いのが現実だ。

シンガポールの公団住宅HDBを改装した、貧困層向けの老人ホームで介助ボランティアなどすると、そのようなグローバル化の負の側面に直面する。昔ながらの価値観を持ち続け、国際レベルの専門性もなく、中国語しか喋れないと、汗水流して50年働いてもあっという間に困窮してしまう。

そんなんだから、インフレの激しいシンガポールにおいて「10年務めてるのに昇級せずツラいです」みたいな人生は成立しない。そんな労働者は今日のご飯が買えず飢えるし、そんな企業は従業員を確保できず潰れる。

やり甲斐のために給料が安くても仕事を続けるのは、一部の金持ちに認められた特権のようなものだ。

適正価格というインフレの限界

機能は安い中華スマホとそう変わらないにもかかわらず、MacBookより高額なiPhone Xが話題になっている。

iPhone 6以来3年ぶりのデザイン変更とあり、当時のようにいち早く手に入れてドヤ顔するシンガポール人が多いのかと思いきや「あれは金の無駄だ」とX所有者を馬鹿にするような人が僕の周りに多い。僕が最初にシンガポールに来たときは、とにかく価値観が物質的で高いものを手に入れてはドヤ顔する、スネ夫っぽい人が多いと感じたのに。

ところが実際iPhone Xの初期ロットを手に入れてドヤ顔しているのは、東南アジアの新興国、フィリピンやタイから来た外国人で、それをシンガポール人が見てクスクスしている構図。

シンガポールは変化のスピードが本当に速い。

国民性みたいな強固な概念ですらも、僅か数年で目に見える変化を感じる。まぁぶっちゃけ酸っぱい葡萄な感もあるけどね。本当は欲しくてたまらないのに、あまりに高額になり過ぎて我慢しているわけだ。

でも、モノには適正価格がある。

いくら金持ちでも100万円のApple Watchを買う人は金銭感覚を疑うし、3000円のラーメンを常食している人とは友達になれそうにない。

インフレが限界を超えつつあると感じる。

「iPhone Xが高すぎると感じるなら、最早あなたはApple社が想定する顧客層ではない」

それはその通りだろう。認める。でも昨今、苛烈なインフレでAppleの顧客層に残り続けるのがどんどん難しくなり、そんな社会の上澄みがみるみる縮んでいると感じる。

より高額になっていくプレミアムブランドAppleを買い続けられる選ばれし少数と、Oppoみたいな中華スマホで別に何不便なく暮らす庶民。格差社会と言えばそれまでだけど、どちらも持続可能なだけに、経済的社会の分断は大きくなってゆくばかり。

グローバル化の当然の帰結ではあるけれど、果たしてこれが当事者たる全ての人々にとって幸せな社会なのだろうか。

デフレは貧困を感じにくい

自分の国がインフレするってのは、こういうことだ。

得てして、たまに帰国して感じる没落先進国で暮らす日本人の悲壮感よりも、日常的に感じるグローバル国家シンガポール人の切迫感の方が深刻だ。

日本にはユニクロがある、しまむらがある、ダイソーもセリアもある。家賃も安いので国内何処にでも気軽に引っ越せるし、IKEAやニトリに行けば安くておしゃれな家具も手に入る。田舎住みでも50万円も出せばかなり良いコンディションの中古車に乗れる。

シンガポールならたとえ中古でも、それなりなクルマに乗るには600万円は覚悟すべきなのに。

失われた何十年を語る前に、日本では給料が下がり、購買力が下がり、物の値段も下がっていく、デフレスパイラルがあまりにも長すぎた。だから分厚い「Apple製品を気軽に買えない層」向けに、人生フルサポートが整っている。衣食住、保険や教育に至るまで全てだ。

そのようなデフレに特化した社会構造になっているからこそ、日本では「やりがい」のために昇給しない仕事を10年以上も続けられる状況にある。仕事に食べるため以上の価値を見出すのは、シンガポールなら特権階級だ。

これは日本人にとって、果たして不幸なことなのだろうか。

グローバル化の激しい波にもまれ、弱者を切り捨て、国家のみがどんどん発展していく場所で暮らしていると、経済的な指標でどんどん貧しくなっていく我が祖国日本を、一概に不幸であると決めつけることができない。

日本人全体の幸せ

とは言え、日本にもそんなグダグダな状況に満足できない企業や個人がいるのも事実。そんな野心的な人はどんどん海外に出て、グローバル化の波に乗って成功をもぎ取ればいい。

デフレ社会で揉まれた日本企業は強い。

例えば海外進出して成功しているユニクロのように、世界レベルの高品質を圧倒的な安値で提供できる。これがパリやニューヨークのような世界の一等地でユニクロが成功している強みだ。

一方で、やり甲斐や生き甲斐みたいなフワフワした概念をよりどころに、低賃金でもまったりやりたい人は、それでも日本国内で充分生きていける。老後には年金もある。

世界に国を開いたために地元商店街の自爆テロで人が殺されている欧米を見るにつけ、内需をまったりと廻しつつ精鋭が外需に攻めてかかるのは、グローバル化する世界へのアプローチとして斬新だと思う。

昨今何かと揶揄される保守的な日本社会だけれど、日本人全体の幸せを考えるのであれば、このまま徹底的にガラパゴス化することが有効だと思う今日この頃である。