シンガポールのインド人街に集まる男たちの日曜日

なんちゃって糖質制限を実践中なんだけど、運動したあとは無性に炭水化物を食べたくなる。具体的にはシンガポール風中華餡掛け麺「フォーファン」をどうしても食べたい。。。

僕は誘惑に弱い。にんげんだもの。

昨日もテニスの練習の後で居ても立ってもいられなくなり、瑞春(スィチュン)という点心レストランへ足が向いちゃった。瑞春は地元に愛される昔ながらの店で、気取らない値段で本場の味を楽しめる。

僕の家から瑞春に行くには、インド人街の中心を横断するのが近道だ。そして昨日は日曜日。日曜日のインド人街には、知らない人が迷い込んだらギョッとするであろう光景が広がっている。

その場を埋め尽くす褐色の肌の男たち。

サッカー場ほどの空き地に、少なく見積もっても5千人が繰り出し、グループで丸く座ったり、立ち話したり、思い思いに日曜日の午後を楽しんでいる。

尋常じゃない人口密度。そして若い男性しかいない。肉体労働に従事している人が多いだけに、みんなガテン系の体格。

ここまで男性しかいない空間というのも異様だ。

彼らは平和に午後を楽しんでいるだけなんだけど、女性なら本能的に身構えてしまうかもしれない。男の僕だって慣れるまで近づかないようにしていたくらい。実際、2014年に暴動も起こっている。

ところが今では見慣れたご近所の風景。楽しかった週末の終わりを示すメタファー。サザエさんくらいのもんだ。

昨日も瑞春に行くのに群衆の真ん中を突っ切る最短ルートを選択。

お手軽にインドの風に吹かれれば、彼の地を旅した記憶が蘇ってブログのネタになるかもしれないしね。



男たちの日曜日

近所の素行不良インド人に対し何かとブヒブヒ文句を言っている僕だけど、なんだかんだでインド人と関わる行動を取ってしまう。

これはツンデレというヤツなのだろうか(=^・・^;=)

群衆を外側からみるとライブの観客のごとき人口密度に感じる。でも実際その中に紛れ込むと意外とゆとりがあって、ある程度のスペースを空けて5人くらいのグループに固まっている。

なお、さっきからインド人と表現しているけど、この人達の最大勢力はバングラデシュ人と思われる。もちろんインド人もいるし、スリランカ勢も最近増えていると聞いた。確かに民族や言語ごとに固まっているようで、よく見ると南アジア系の中にも日本人と中国人みたいな、微妙な違いを見て取れる。

彼らは忙しい。

まずとにかく早口で喋りまくる。

そしてまだ喋り終わって無いのに次の人が喋り始め、しかも最初の発言の主も喋り続ける。そこに重ねて3人目がツッコミを入れるって感じ。

一瞬も会話が途切れない。

カクテルパーティ効果が効かない発達障害が南アジアに産まれたら一撃で詰むな(=^・・^;=)

さらに彼らはそれぞれ、ネットと電話越しに沢山の人達と繋がっている。喧嘩みたいな激しい掛け合いの脇で、チラチラとスマホをチェック。ポチポチと返信。

すると誰かに電話がかかってきて更なる大声で話し出すんだけど、なんと通話中なのにグループの会話にもツッコミを入れる。しかも着信が来てもすぐに出ない。わかんないけど、自慢の着信音をみんなに聴かせたいと見て取れる。

鬱陶しいなおいwww

そして極めつけは通話中の彼を背景に自撮り。

南アジア系の人たちの自撮りポイントは今だに理解できない。別に何でもない看板の前で自撮り。駅のエスカレータで自撮り。電話している友達に自分のキメ顔を乗せて自撮り。しかも何枚も撮る。

そして隣の人に見せる。

いやいや、お前も電話の彼も、そのままの状態で隣にいるから!!!



キラキラした目

いやぁ、やっぱインド人街は面白い。もう3年になるけど住んでて飽きない。少々騒がしいのが難点だけどね(=^・・^;=)

そんなわけで群衆をかき分け進んでいくと、15人くらいの人だかりが出来ていた。

なんだなんだ?事件か?

などと野次馬根性で覗き込むと、キャノンの箱を抱えた青年がまさに梱包を解くところだった。しかもそれは、なかなか良いデジタル一眼、自撮り用に液晶ディスプレイが反転するモデルじゃないか。

おぉスゴい!やったな青年(=^・・^=)!

聞くところによると、彼らの月給は10万円にも満たないという。そこからお国の家族に仕送りし、派遣エージェントに手数料のローンを支払っている。生活費も差し引けば、もはや手元にどれだけ残るだろうか。

たぶん青年はそこからコツコツ貯金をして、遂に念願のカメラを買ったんだろう。

梱包材を退けると、黒光りする立派なカメラが姿をあらわす。口々に言いたいことを言いまくる取り巻き。

その瞬間の青年の目に僕はハッとした。

まさに今、心が踊っているキラキラした目。長年の我慢が報われた喜び。満足感。素直な驚き。

彼らのハッキリした目鼻立ちは、まるで感情を表現するのに最適化されている。彼の目から溢れる情報量に圧倒され、僕はしばらくその場に立ち尽くした。

ま、3秒くらいね。

美しい物欲

僕があそこまで強く何かを渇望したのはいつだっただろう。

スーパーファミコン全盛期の小学生のとき、ようやく買ってもらえた時は嬉しかった。誕生日に手に入れて、怒られるまで乗り続けたマウンテンバイクもそうだ。

でもなぜだか、経済的に自立してからは「欲しいもの」ではなく「必要なもの」ばかり買っているように感じる。

そして欲しくて買ったMacBookやiPhone、AppleWatch。やっと手に入れたオーダメイドのカスタムIEMにしても、どこか「うん、こんなもんだよね」っていう冷めた感情が、通奏低音として全体を引っ張り下げる。

そして腹から込み上げるような、所有する喜びに至らない。

青年のキラキラした喜びの目。

感情を突き動かすような物欲は、もしかすると生きる原動力になるのではないか。特にダルい勤労をする理由、今日も重い体を抱えて通勤電車に乗る動機。

僕に足りないのは、こういうわかりやすい欲望なのかもしれない。