無職で春節を迎えるのは生き難い

シンガポールは春節の連休でどこもかしこもお休みモード。

中華系の人たちは一族郎党で集まって魚鮮(いぅーしぇん)という魚や野菜を撒き散らす願掛けをしたり、紅包(ほんぱお)という「逆お年玉」をあげたりと忙しい。これは社会的圧力による半強制イベントなので、人によっては参加しないとさらに面倒くさいことになるっぽい。

僕は日本人だし春節はまったく関係ないところから傍観しているだけなんだけど、どうにもシンガポールの家族イベントは面倒くさそうだ。例えば紅包というお年玉だけど、子供にだけ包めばいい日本と違って、中華圏では子供が両親にあげたり既婚者が独身にあげたりする。会社では上司が部下にあげることもある。

ヤバい(=^・・^;=)

この逆お年玉制度で一番面倒くさそうのは、上げる側ともらう側の立場によって額がきっちり決まっていることだ。彼らはお金が絡むとガチなので「お気持ち」などという曖昧な概念は通用しない。このくらいの年収であげる対象が両親なら2万円包みましょうなどと超絶具体的に示される。この額は毎年銀行なんかがWebサイトで告知しているんだけど、僕がシンガポール人だったら迷惑な限りだと思う。

無職はツラいよ

そんなわけでとりあえず先立つカネがないと春節のファミリーイベントをサバイブ出来ないらしい。だから僕の中華系シンガポール友人は家をあける口実にするためか、わざわざこの元日のタイミングで外国人が多いコミュニティで野外イベントを主催した。彼は仕事がどこも長続きせず、ポリテクニックという高専を中退してから10年以上ほとんど無職でフラフラしている。

中華文化はメンツを重んじる社会だ。この時期にカネとメンツが立たないと一族郎党が集まる実家に居づらいのだろうな。

どこの国でも無職でフラフラしているのは肩身が狭いのか。まったくやれやれだ。でも無職は恥だが癖になる。彼もノラリクラリとこうした社会的圧力をかわして、もう何年も働いていない。それでいて定期的に人を集めてイベントを主催してなんだか楽しそうだ。

シンガポールの雰囲気的に彼のような生き方は褒められたもんではない。それに裕福な家庭に産まれたわけではない彼が、福祉制度が貧弱なこの国で将来どうなってしまうのか不安要素は尽きない。それでも、ほとんど働かずにフラフラしてても最低限生存を許されて、お金がかからない方法で孤立せず友達がたくさんいる彼は幸せだとそばで見ていて思う。

いろんな生き方が可能で、いろんなライフスタイルを自由に行ったり来たりできるような社会こそが持続可能で幸福度が高いと思う。僕自身も実践していきたい。