春節なのにシンガポール遺産巡りに参加してきた

シンガポール友人が主催する遺産巡りなるものに参加してきた。歴史的あれこれを歩いて回るらしい。シンガポール人によるシンガポール歴史巡り。なんとも楽しそうだ。

意外だったのは、春節の初日(元日)にも関わらず20名弱の参加者の半数以上がシンガポール人だったこと。てっきり一族郎党で集まって過ごすので、こんな微妙なイベントには出てこないと勝手に思い込んでいた。何人かに話を聞くと、朝にちょっとだけ祖父母の家に顔見せしたけど長居せず出てきたとのこと。やっぱり春節のあれこれを面倒くさいと思ってる人はそれなりにいるんだな。

築50年で遺産として語られる

参加者みんなで軽く自己紹介してから小雨が降るなか遺産巡りが始まった。特に何でもないHDB(高層アパート、公団住宅)の間をぬってテクテク5分くらい歩くと「最初のポイントがここです」とのこと。一見、なんの変哲も無い公団住宅の一角である。

いや、ホント何でもない公団住宅だった。彼の説明によると独立後の住宅難を解消するため当時のリー・クアン・ユー首相肝いりの政策で建てられた最初の公団住宅群らしい。だとしても今でも普通に人が生活している築50年程度のアパートである。っていうか50年後の今でも住宅難は解消されておらず、僕の住環境も微妙なことこの上ない。50年前の事情よりも現在の僕の家をなんとかして欲しい。具体的には三階のトイレの汚水が天井から漏れているのを今夜にでもよろしくお願いしたい。

主催者は僕の古い友人なので無言のエールを送っていたものの、彼の説明の間、終始「うぅ、微妙なイベントに参加してしまった泣」という空気感が場を満たしていた。独立後51年の新しい国であるシンガポール。でもシンガポールとして独立する前もイギリスの植民地として長らく東インド会社の勢力下にあり、それ以前も現マレーシア・ジョホール王の領土として人々の活動があったことがわかっている。

独立後、ASEANの経済首都として機能してきた華々しい繁栄のみが語られがちなシンガポール。遺産巡りときいて誰しもが、あまり知られていないイギリス統治時代のあれこれや、または日本人としては気まずい太平洋戦争の傷跡、記録が少なく謎に包まれたラッフルズ上陸以前のいろいろを期待したに違いない。

それが、歴史的というより単純にボロいアパート巡りだったことが判明し、一同のテンションは地の底まで落下した。

僕はやるせなくなりセブンイレブンでビールを買って飲み始めた。

ホーランドビレッヂはオランダと関係ない

遺産巡り改め公団住宅見学会の一行は、ホーランドビレッヂというエリアにたどり着いた。ここは洒落たカフェや駐在員様ご用達のレストランなどで有名である。見どころは公団住宅の壁に描かれたペンキ画だそう。ホーランドビレッヂ(Holland Village=オランダ村)という地名にちなんでチューリップ畑や風車、アムステルダムの運河を思わせるデザインだ。日本人としては銭湯の富士山がアパートの壁に描かれているような感覚を覚えた。

が、ペンキ画の下部をよく見ると去年の日付が刻印されている。彼の説明によるとこれはシンガポール人女性画家の作品で、去年描かれてとても有名になったらしい。

遺産な要素ゼロじゃんかwww

「ホーランドビレッヂってのはイギリス人建築家のホーランド氏にちなんで名付けられました。オランダとは縁もゆかりもありません」

じゃあこのチューリップ畑はなにwww

僕は2本目のビールを空けた。

終始グダグダに終わるも生命の危機に

まぁその後も非常にグダグダな展開だった。シメであるという「有名なコーヒー屋」ってのについて行ったら、古民家を改装した風のスターバックスだった。確かに世界的に有名だね。うん。

これで三本目のビールを空けたのだが、ちょうど酔いが廻った頃合いで参加者のシンガポールおばちゃんから「日本女子とシンガポール女子の違いについて君の意見を聞きたい」などという命懸けの試練を与えられ、一気に酔が覚めて蒼白になった。

一歩間違えばシンガポール・リバーに沈められて僕自身がこの国の歴史の一部になるところだった。

一年の計は元旦にあり。超充実した春節を過ごせてよかった!!!!ありがとうよ!!!あけおめ!!