僕は理不尽な扱いに対する耐性がなく、黙って従ったほうが穏便に過ぎるだろう状況でも全力で抵抗する。無理してツッパッてるというよりか、怒りの衝動に突き動かされる。
結果的に組織でうまく振る舞えなくて損することばかりだけど、理不尽な扱いを拒否して自由を貫くには、それなりに努力が必要なんだ。たとえ不利になっても自由を侵害される様なことは絶対にやらない。
今回はそういう葛藤から学んだことを書こうと思う。
誰にも利用されるな
社員を使い捨てにする企業、組織ぐるみでいじめを隠す学校、メンツのために子供を利用する親。。。
みんな自分の利益のためなら他人の犠牲などどうってことないんだ。残念ながら、この世の中はそういう原理で動いている。そして僕はあまりに無力でそういうのを変えるチカラは選挙の一票ほどしか持っていない。
でもただ1つだけ、いつでも誰でも出来ることがある。それは理不尽な状況から距離を置くことだ。
不快なことからそれがなんであれ逃げていい。それが家族なら連絡を断てばいい。学校・仕事なら辞めればいい。社会が嫌なら引っ越せばいい。
たったこれだけで随分楽になる。
身寄りがなくなるし、収入がなくなるし、見知らぬ土地でよそ者になってしまう。
それでも自分に合わない場所で、合わない人たちと、合わないことを我慢してやり続けるよりはずっと「清々しい人生」になる。うざい連中に囲まれているより、誰にも囲まれてないほうがラクってわけだ。
まわりに良い環境を再構築するのは、一旦全部リセットしてからの方が効率がいい。
この世は他人の犠牲などお構いなしに動いているけれど、自分に合う社会・人・仕事は必ずある。
地球には約200もの国があり、無数の街で7000000000人が暮らしている。我慢して現状に耐えるのは、その全てが合わないと自分の目で確認してからでも遅くない。
「ここでやってけないなら他でもうまくいかない」
他人を利用して生きている人は、僕ら奴隷にかけた「服従の魔法」が解けそうになると、押し並べてこう口にする。
「ここでやってけないなら他でもうまくいかない」
僕は人生で2回言われたな。
1回目は大学の研究室。僕は理系学部出身なので、4年生になると研究室に配属されて実験を卒論にまとめないと学位をもらえない仕組みだった。
ところが大学の研究室というのは往々にしてブラック企業の原理で成り立っている。実験と全く関係無い雑務や、休日に行う作業を強要される。歯向かえば卒論の単位をちらつかせる。そういう環境だった。
当然、歯向かって問題ばかり起こしていたのだが、その時教授に言われたのが「この程度の理不尽を受け入れられないなら社会に出て失敗する」。
残念ながらこれはある意味正しかった。
最終的に卒業も正社員の地位も手に入れたものの「この程度の理不尽」を僕は受け入れることが出来なかった。そして最後まで会社組織に馴染むことなく5年で日本社会から敗退した。
2回目はこの、うつ病で日本の一部上場企業を退職する時に上司から言われた。「ここでやってけないなら他でもうまくいかないだろう」と。
エライ皆さんはそうおっしゃいますが、シンガポールに移住して正社員に返り咲いてもう4年目だ。
なんとかやれている。
要するに僕の場合は「日本社会では適応できないけどシンガポールなら特に問題なかった」ということ。もちろん誰しもがシンガポールに来れば楽になるというわけじゃない。
でも、誰にでもうまくいく場所が地球上のどこかにあると確信している。
たった1つの組織でうまくいかなかったから他でもうまくいかないなどとは、視野の狭い哀れな発想だ。そういう発言をするやつに出くわしたら可哀想だなと適当に同情しつつ、二度と顔を合わせない場所へサクッと移動してしまおう。その環境は害でしかない。
組織や他人を変えるより自分の環境を変える
理不尽な組織や他人を自分好みに変えるのは大変な労力を要する。その場で耐えるよりむしろもっと苦労するだろう。
でもここで思考停止してはいけない。ブラック企業に飼われた社畜が一丁上がり。
その都度、与えられた環境にカメレオンのように対応できる器用な人は、有利な様で社畜として使い倒されるリスクも孕む。だから器用にカメレオンできない人も悲観する必要はない。色を変えずとも馴染める環境はどこかにある。
どうせ苦労するなら、それは新天地を探しに行く勇気に使いたい。