海外に移住してすっかり電子書籍の虜になってしまった。時に日本にいないことを忘れるほどラグなく和書の新刊を買うことが出来るし、在庫枯渇の心配もない。僕は片付けが苦手な人間なので部屋はいつもグッチャグチャ。それでもKindle端末さえあれば瞬時に読みたい本が手元に来る。今や購入した電子書籍は500冊を超え、「電子積読」状態のタイトルもあれど、概ね1回以上は目を通している。とにかく物理的にかさばるという書籍最大の難点が電子化によって克服されたため、暇さえあればいつでもどこでも読み進められるのが読書量の増加につながっている。
しかし電子書籍に満足する一方で、大型書店をとても恋しく思う時がある。
大型書店を徘徊するのは癒やし
電子書籍を愛してやまない僕なのだけど、決して紙の本を否定するわけではない。何と言っても紙の本には単なるコンテンツ以上に「癒やしのチカラ」がある。
悩んだりモヤモヤした気分に支配された時は、図書館や大型書店に行く。そして興味の移ろうままに1時間くらい迷路のような書棚を徘徊して、ジャンルに縛られず横断的に立ち読みさせてもらう。電子書籍でもパラ見ができるけど、この手に触れる感覚や、物理的に気になる背表紙を探す時間が大切なんだ。
気になった本を手にとって、気ままなページを開けて読んでみると、それはそれはいろんな人がいろんなことを言っている。ノンフィクションの棚では型にはまらない様々な人生があることを知る。僕はエンジニアの端くれなので、技術書の棚では新しいテクニックに触れることも出来る。そうこうするうちに、この世に絶対な概念などひとつもなく、僕が悩んでいたことがいかにちっぽけで取るに足らないものか気付く。自分の存在の小ささを意識することで、逆に視野が少しだけ広がったことを実感できるのだ。
そうやって気が済むまで徘徊すると、お守りに手元に置いておきたい一冊が定まってくる。こういう時は躊躇なく買うことにしている。物理的に手に入れて、近くのカフェやファミレスに入って空が暗くなるまで読みふける。そうすることで立ち読みですこし広がった気がした自分の視野が確固たる自信にかわる。
これが紙の本の癒やしのチカラだ。
まぁそんなわけで
海外生活も5年目に突入し、東京で昼間っからフラフラしてたあの気ままな時間が恋しい。毎日目的があるでもなく都心に出て大型書店をめぐり、疲れたらコンビニでビール買って、その辺の公園で飲む。身体が冷えたら下町の銭湯で温まって、眠くなったら帰る。こんなゴムの伸びたような生活は「人生の洗濯」になって良い。そのうちどこにも行く当てがなくなったら、また あそこに戻れば僕はいつでも幸せに生きられるんだ。