学校は卒業があるから耐えられた。人生には定期的に卒業が必要だ。

嫌な場所・嫌なこと・嫌なヤツというのはどこでも存在するもんだ。そういう存在を自分の都合のいいように変化させるには膨大な労力が必要で無駄に疲れる。なので、嫌な存在からはサクッと逃げるのが得策だと思う。

されど人間たるもの生活がある。サクッと逃げた結果、マルッと収入や学歴も一緒になくなってしまっては困るしもっと疲れる。こうしたメリットとデメリットを天秤にかけて「耐える」選択を強いられることがあまりにも多いのが現実世界でございます。やれやれだぜ。

ゴールラインが見えるから完走できる

思えば学校っていうのは嫌な場所・嫌なこと・嫌なヤツの掃き溜めであった。そんな僕でも耐えに耐えてなんとか大学まで出られた。これは今思うに「あとどれだけ耐えれば卒業できるか」が明確だったからだろう。ゴールがハッキリ見えていると耐えるモチベーションになる。

そういえば社会人になって最初の1週間目ですでに辞めたかったんだけど、満員電車に揉まれながらこの会社員生活には「卒業がない」という事実に気付いてしまい絶望したのをよく覚えている。まぁ結局その5年後に卒業というか退場することになるのだけど。。。

やっぱり社会人にも卒業が必要だ。なんでもいいから職場で目標をつくって、それが達成し次第退職して次へ行くとか、勝手に「卒業」を設定するのが自分も成長できて建設的だろう。まぁ僕なんかは怠惰で無気力だから常に「来年はこそは辞める」などと自分に言い聞かせながら目標もなくダラダラと会社に行っているけど。そういう人は「三年耐えよう」とか時間で区切るのがラクでわかりやすいと思う。

空白期間が不利になるのがクソ

そして会社から卒業したら、半年くらいはブラブラしたいのが人間だと思う。僕はうつ病で日本のサラリーマン生活を退場して、1年近くダラダラと酒を飲んで旅していたんだけど、半年を過ぎた頃から経済社会にまた関わってみたいという気持ちが自然に湧いてきた。これは自分でも本当に不思議だった。あんなに「もう働きたくない」という気持ちを血反吐吐く思いでねじ伏せて毎日通勤していたというのに。

空白期間は生きるモチベーションを高めて、精神状態を安定させる、いわば社会に再び関わる準備期間だ。そんな大切な時間にも関わらず、いざ転職となるとマイナス評価される。まことに理不尽極まりない。

残念ながら空白期間がマイナス評価なのはシンガポールでも同じだと感じた。日本ほどじゃないにせよ、ブラブラしてましたという経歴は次の仕事探しで良い印象を与えない。シンガポールは日本よりいろいろユルいから「それで何を得てどう活かすか」という方向で取り繕えばなんとかなるかもしれないけど。

3年働いて卒業して1年春休みの繰り返しがいい

というわけで、本当に嫌だったらすぐ逃げればいいと思うけど、天秤にかけてメリットが優るなら、現実問題として現状に耐えることも人生に必要と思う。日本は中学・高校が3年制だけど、この三年というのは何かを学び取るのにちょうど良く、なおかつギリギリ耐えられる期間としてよく出来ていると思う。

卒業という人参を目の前にぶら下げておいて、周りのゴチャゴチャは出来るだけ視界に入れずにゴールまで駆け抜けるような働き方をしたい。そして晴れて卒業まで耐えきったら、サクッと辞めて次のモチベーションが溜まるまで1年くらい放浪するようなのが僕にとっての理想の人生だ。