他人と比較するのを止めると境遇が違っても受け入れられる

仲良かった人たちがみんな結婚してつまんなくなったと嘆く男友達、周りがみんな子育てに忙しくて話が合わないという女友達がいる。よくわかる。結局、それまでどんなに苦楽を共にしていても、現在の境遇が大きくズレると人は根本的には分かり合えないのだと思う。

昨今社会の変化がどんどん速くなっている。その変化に敏感にアンテナを張って自分の生き方を変えていく人と、親と同じような従来通りの生き方に幸せを見出す人とでは、今後も価値観の溝が深まるばかりだろう。

社会が複雑になって同じ境遇の人を見つけにくい

これまでは所属する社会によって「普通」っていう概念が存在していた。その場所を支配する時間の流れに乗って、適切なタイミングで学校を上がって、適切なタイミングで就職して、適切なタイミングで家族を持てば、周りの大多数は同じ波に乗っているので何も考えずともほとんどの人と境遇を共に出来た。

ところが近年は、閉鎖的な日本社会にもグローバル化が波及して、伝統や歴史に関わらず爆速で社会を取り巻く条件が変化するようになった。社会全体を支配している時間感覚が崩壊した結果、各々が自分の判断で人生のイベントをこなさなくてはいけない。外国に住んでいる僕など言わずもがな、日本に暮らしている人々のなかでも価値観の溝は深まっていると感じる。

シンガポールに移住して最初のうちは、年に3回は足しげく日本に帰国していたのに、もう1年半も祖国の土を踏んでない。それで全然苦じゃない。今回は親族が結婚するにあたり、かなり強い圧力がかかったからようやく2週間くらい帰国する気になったものの、ほとんど各種事務手続きをこなすのが目的だ。

日本にいない時間が長くなるにつれ、日本で暮らしている人たちと境遇が違いすぎて価値観を共有できなくなっている。これは寂しいことだと思っていたけど、最近違う視点で考えるようになった。

他人と比較するのを止める

日本の仕事を辞めて、アベノミクスに乗っかって世界の裏路地でFXしてたときは、日々出会う異国の人たちの生き様からむしろエネルギーをもらっていた。いろいろな価値観でいろいろな人生が世界にはある。俺は日本社会から脱落しただけで、地球にはまだ活路を見いだせる余地がたくさんあるんだ、ということに気付かせてもらった。

今までは同じ日本人だからということで、何かと比較して「こんな価値観に俺は耐えられないな」などと線引していた。だけど、境遇がかけ離れてしまった時点で、日本人だって旅で出会った人たちと同じじゃないか。これに気づけてから、あれこれ人と比較してモヤモヤすることが減った。むしろ「へー、こんな生き方もあるんだなぁ」という気付きを得られる。

まとめ

「普通」が成り立たない複雑な世の中で「同じような境遇の人」を見つけるのが難しくなっている。いちいち自分と比較しなければ違う価値観を持っている人との関係も楽しめる。無理にわかり合おうとするのではなく、違いを受け入れれば良いのだ。