量産型人生の葛藤と、オーダーメイド人生の不安

たまに日本に帰国して朝の満員電車に乗ると、社会人になりたてだった頃を思い出す。当時は東京の郊外に家があって、都心まで通勤していた。

学生の頃は自分はどこか特別できっと面白い人生が待っていると信じていたのに、気づけばスーツ姿で大衆に埋没していた。量産型人生。

当時はまだうつ病じゃなかったし、第二新卒などという言葉が流行るくらい転職は売り手市場だった。だから嫌なら辞めれば良いんだけど「普通の人生」のぬるま湯にどっぷり浸かって腰が重かった。

大衆に埋没している日常は気楽だ。もちろん通勤はつらいし、仕事はキツいし、人間関係は面倒くさいんだけど、サラリーマンは人生の舵取りに悩まなくていい。

実際はまやかしの安心なんだけどね。会社にも満員電車にも「同類」がたくさんいる。彼らと同じ行動をしていれば、自動的にみんなと同じ場所にたどり着けるような錯覚を持っていた。このまま仕事を頑張って、いつか結婚して、そのうち子供が産まれて、昇進したら郊外に家を買うんだろう。こんな未来に続く一本のレールが頭のなかにあった。

その当時付き合っている女性がいて、彼女はいわゆるフリーターだった。今思うとずいぶんサバサバした人で、やり甲斐とか生き甲斐みたいな面倒くさいことは一切考えず、おカネのためだけに仕事をしていた。時給と労力が釣り合っていて短期間で稼げる仕事。それだけを考えて働いてると言っていた。

彼女の労働感を知れば知るほど、僕があまりにも多くを仕事に期待していることに気付いた。将来の展望、成長、誇り、両親を安心させることなどなど。よく自己紹介で真っ先に会社名と役職をいうおっさんがいるけど、僕もそういう種類の人間だったんだな。

それから3年くらいの間、仕事に人生の大部分を預けたまま、僕はレールを走り続けた。心も体もボロボロになったのに、進めば進むほど今まで信じてきたレールを外れるが怖くてしょうがなかった。

そして2011年3月11日。大震災が起きた。都心の高層ビルにいた僕はもれなく帰宅難民になって、明かりの消えた深夜のオフィスでネットラジオで各地の被害を聴いていた。その時、いままで当たり前に信じていた社会の構成要素がとても脆く儚いものだとようやく気づいた。一瞬だけ目の前の霧が晴れて、自分が人生を預けているレールが実はどこにもつながっていないのが垣間見れたのだ。

あれから、自分の人生を自分で舵取りするようになった。

ジブリ『耳をすませば』に「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ」という台詞がある。受験勉強より自分の情熱を優先する決意をした中学生に、それを認めた上で親父がいうのだ。「何が起きても、誰のせいにもできないからね」とも。

その通りだ。オーダーメイドの人生は「みんなと同じだから大丈夫」という根拠のない安心に頼れない。会社を辞めて、日本を出て、南の島でのんびり暮らしている。全部自分で決めたこと。僕は自分で選択した今の僕に満足している。これがいちばん大切なことなんだ。これでいいのだ。