真人間に擬態するのは疲れるけど工夫して集団に所属するようにしている

「人間のふりに疲れた」っていう表現を初めてネットで見た時は驚いた。

発達障害でも時には集団に所属して、苦手でも与えられた役割をこなさないとこの世で生きられない。そういう時はグループ内で浮かないように、あたかも「皆さんと同じ人間ですよ!迫害しないでね!」ってガクブルしながら時間を過ごすことになる。

この状態を「人間のふり」とは上手いこと言うな。

ピンとこない人は、アスペルガーっぽい女性が主人公の『コンビニ人間』という物語に「人間のふり」をする様子が克明に描かれているのでぜひ読んでほしい。

それでも孤立は良くない

そんなに集団行動が苦手なら孤独に生きればいい。僕もそう思う。そう思うんだけど、それでも社会から孤立することは長い目で見て不幸せなことなんだ。

上手く言えないし、少々オカルトじみているのだけど、僕には心の奥から指令が飛んで来る。友達からの誘いを無視し続けて何日も引きこもっていると「孤立するな!」と自分の心に命令される。

上海で飲んだくれていた時も、シンガポール女子からホステルの仕事に誘われて「この話に乗れ!」と指令が来た。

人生追い詰められてもお手軽に生まれ変われる。物理的に死ぬのは無駄。

インドで下痢をしていた時は、オーストラリアのワーホリとシンガポールで就活という2つの選択肢があったんだけど、具体的に調べる前に「シンガポールにしとけ」と指令が来た。

それよりずっと前、新卒で入社した時にも「この会社を辞めろ」と命令されたにも関わらず、僕は自分の頭で考えた将来設計を捨てきれず、最終的に心を病んだ。

こんな風に、人生の分かれ道や、上手くいってない状況で、この心の司令は絶対的な方向性を示してくれる。指令を無視して「自分の考え」を優先させると、しばらくして最悪な結末に終わることが多い。

だから僕は指令に従って、なんとか社会から孤立しないようにしている。

苦手な部分を切り分ける

集団行動が本当に苦手だから、いくら真人間に擬態したところで必ず失敗する。「コンビニ人間」の主人公も、コンビニの業務マニュアルと独自のノウハウを使って上手く人間のフリをしているつもりだったのに、同僚には最初からバレていた。

そんなもんなんだ。だから、僕は最初から集団行動が苦手なんだと割り切って、集団行動そのものを完全拒否せずに、苦手な部分だけ切り出して部分的に避けるようにしている。

グループトークが苦手。複数の人と同時に会話すると、各人の発言を分離できずに自分が批判されているような気分になってしまう。だからスケボーとかテニスとか、具体的な目的があるサークルを選んで所属している。それなら、会話にほとんど参加しなくても練習をちゃんとやっていれば「仲間」として接してもらいやすい。

価値観が合わない人たちに無理して共感を示すために台本が必要な話

会食が苦手。会話だけでもついていけないのに、そこに飯を口に運んで咀嚼するという動作が加わると完全に詰む。だから食事は済ませてから参加して、皆が飯に行ってるときも黙々と練習している。

集団をまるごと忌諱すると孤立する。だけどこんな風に苦手な部分だけをピンポイントで回避するだけなら、理解のあるグループであれば「ちょっと変な人」ってな感じで、それでも「仲間」として接してくれる。

人間のフリを卒業するのに大切なこと

大切なのは、こうやって「ちょっと変な僕」を「仲間」として包容してくれる寛大な人たちを、自分も「仲間」として尊重することだ。

「人間のフリ」をしているうちは、どうしてもメンバーを「敵」として警戒してしまう。まずは自分自身が周りの人への警戒を解くことが、発達障害なりに無理せずグループの一員になる最初の一歩だと思う。