僕は高校のとき文化系の部活に所属していた。とはいえ熱心に取り込んでいたわけじゃなく、部室をたまり場にして皆で大貧民をやったり、お菓子を持ち込んでグダグダしてただけだ。
あの空間が懐かしい。
先輩後輩関係なく、勝ち負けにこだわることもなく、有益な議論もしなかった。ただグダグダと何も考えず適当なことを言い放って、青春の日々を無駄にしていた。
あの部室に、僕の人格形成の原点がある。
クラスメイトと上手く関われなくても、実家に居場所がなくても、部室に行けば気の知れた人がいて、歓迎もされないけど疎外もされない。
何も要求されること無く、ただそこに存在することを無条件に許された空間。大人になってから、あんな場所が欲しくて世界を彷徨っている。
アルコールはいつでもどこでも僕を受け入れる
いつでもどこでも、何も要求することなく僕を受け入れてくれるのは、現状アルコールしかない。
「安らぎの場がアルコールとは虚しい人生だ。早く結婚して家庭で安らげばいい」などと軽々しく言われるんだけど、そういう既婚者の方々を見ている限り、家族っていうのは僕の求めているものとは真逆なんだ。
僕はこう見えて、親しい人が困っていたら手を差し伸べる。ところがそれは、僕が手を差し伸べたいという自分の欲求を満たすためにやってるフシがある。
情けは人の為ならずとはよく言ったもんだ。
だから「家族なんだから助け合うべき」「相互扶助」「扶養の義務を守れ」などと言われたら、一撃で何もかも嫌になってベトナムあたりに溶けて居なくなっちゃうと思う。
部室みたいなたまり場がほしい
僕が欲しいのは家族という法的契約で結ばれた固い関係じゃなく、むしろ「赤の他人なのにみんないつもいるよね」みたいな、ユルい集団だ。
そうすると今度は「将来の介護は」「日本の少子化が」などとミジンコ並のIQの方々がゴミのような批判をしてくる。そういう下らない連中は、パートナーに熟年離婚され、子供に介護を拒否される寂しい老後が待っているのでお楽しみに。
家族は介護要員じゃない。
「家族なんだから面倒を見ろ」「育ててやった恩を返せ」などというなら、逆に戸籍を抜けば何もしなくていい事になってしまう。家族なんていうのはその程度の契約でしかない。
僕が欲しいのは、本来お金で解決すべきサービスをボランティアで押し付け合う集団じゃなく、調子がいい時に適当に集まってまったり出来る場所なんだよ。
大人のたまり場を作れないか
そんな世間的には極端な思想の元、シンガポールで「もくもく会」を企画していたことがある。もくもく会というのは、みなでユルく集まって各人好き勝手にやりたい作業をする場のことだ。
ところがこれが上手くいかない。まぁ僕の人望が薄いってのが一番デカい原因なんだけどね。
なんにせよ、みんな忙しすぎる。5時間目が終わったら掃除して家に帰れる高校生とはわけが違う。仕事のみならず、例えば僕ならテニスやスケボーのグループの活動もある。
こういう複雑な人間社会に絡め取られていると、とりあえず暇な時間っていうのがマジでない。すべきタスクが山積みななか、グダグダと集う時間など取れないのだ。
主催者の僕がそうなんだから笑い話だろう。大人のたまり場を作る前に、まず僕がもっと暇だらけの人生にシフトする必要がある。
こんな状況なんですが、僕とシンガポールでもくもく会をユルく開催してくれる人をユルく募集しています。@_1_9_までユルくご連絡ください。