自分に生きてる価値がないと思うなら

メンタルってすごく浮き沈みがあって、たとえうつ病を患っている時でさえ瞬間的に調子がいい日もある。

そんなメンタルの浮き沈みで問題になるのは調子が落ち込んだ時だ。こういう時は何もしたくないだけではなく、ただ漠然と「死にたい」という気持ちが頭から離れない。首をくくったり練炭を炊いたり「死にたい」って実はすごく能動的な行為なんだけど、メンタルを崩してる時の「死にたい」はもっと消極的な、消失願望に近いと思う。

言葉にすると「消えてなくなりたい」って感じか。

  • 何もかもが面倒くさい
  • これ以上生きてても意味がない

この2つの考えが頭を支配して離れない。だからもうこの瞬間に自動的に消えてなくなって、初めからこの世にいなかったことになればいいのにと思ったりした。

人に相談しても救いにならない

消失願望に苛まれるレベルに調子が悪化しているときって、誰かに相談しても救いにならないんだよね。「君には価値がある。大切に思ってくれる人がきっといる」とか言われても「へー、じゃあどこにいるんですか」って感じだ。

こんな風に白々しいって思っちゃうわけだけど、でも実際にメンヘラ状態の人を相手するのは相談に乗る側としてもクソだるい。白々しいこと言ってくる人も「あーめんどくせコイツ」って思っているに違いない。実際問題、粘着される可能性があるし、下手なこと言って早まられたら責任を問われるかもしれないしね。

したがって、メンヘラ状態の時に他人から何を言われても基本的に救いにならないし、例え同じ経験をした人であってもうつ病者の相談に乗るのはかなりのエネルギーと勇気がいることだ。

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話を静かに聞いて肯定してみる

そんな状況で僕がメンヘラ状態だった時に、自分の価値を取り戻せたと実感したのは人の話を静かに聞いてあげたときだ。この世は老若男女「話を聴いて欲しい人」で溢れかえっている。だから少し調子が良い時に人に会う機会があったなら、その人の話を積極的に聞いてあげて、手短に肯定するようにした。

話をしたい人はたくさんいるのに、話を静かに最後まで聴いて肯定感を与えられる人はとても貴重だ。

だから少しくらい心を病んでいたとしても話を聞ける人になれば、簡単に他人から必要とされる存在になれる。お金がかからないのも良い。

特にうつ病で休職などしていれば時間は腐るほどある。1人で部屋にこもっているとどんどん人生が行き詰まってくるので、たまに気分が良い時間が訪れたならば、身近な人の話を静かに聞いてあげるとよい。家族とかね。

そんな風に周りの1人からでも感謝されたり必要とされること。その体験が自分の価値をもう一度自覚するきっかけになった。

共依存に注意

実は落とし穴もある。

相手に必要とされることで自分の存在価値を認識する。これはつまり、相手が困れば困るほど、自分の役割が高まる人間関係だ。それがエスカレートして、もっと自分が必要とされるように相手がもっと困った状態になれば良い、そう望むようになったらば注意が必要だ。相手の存在があるから僕は頑張れている、だから相手が僕抜きでも頑張れているのが許せない、とかね。

これを共依存と言う。自己肯定感が壊滅しているメンヘラ状態だと共依存の泥沼に足を取られやすい。

共依存の関係になると、自分も相手を必要とし、相手からも自分が必要とされるのだから、承認欲求が気持ちよく満たされるのは確かだ。

でもこれは病的な関係。いつか必ず破滅する泥沼でしかない。

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1人にこだわらず範囲を広げる

共依存にならないようにするためには、話を聞いてあげる対象を1人に限定せず、いろんな人に幅広く会うことだ。

もちろんメンタルが良くない時にいろんな人に会う事は難しい。だから最初は気があいそうな1人の話を聞くことがスタート地点になる。でも話を聞くことに慣れてきたら、その人から少し距離をとってもっと広い人間関係にも目を向けてみるといい。

そうやってふと気がつくと、いつの間にかメンタルの不調で失った社会性を取り戻せているかもしれない。その時には、もう自分に生きてる価値がないなんて頭に浮かばなくなっている。