社会的役割をこなすのが苦手

藤子・F・不二雄氏の漫画は、どれも同じような登場人物で構成されている。

ちょっと弱気な物語の主人公のび太タイプ、体格がでかくて暴力的なジャイアンタイプ、ジャイアンに媚びへつらうスネ夫タイプ、ヒロインで紅一点静ちゃんタイプ、そして不思議な能力を持ったドラえもん的な謎の生き物。

美女と王子様が必ず登場するディズニーアニメ、おっさんと青年のコンビがドタバタ劇を演じる刑事モノのドラマ、旗本と武士の主従関係をめぐる時代劇に至るまで、典型的な構成員と言うのはそのコンテンツの種類によって既に決まっているのだ。

ここから言えるのは、人が集まると、その集団を運営するのに必要なキャラが同時に定まると言うことだ。

人が集まれば自然と役割が割り振られる

仮にフットサルチームを結成するとなれば、エラそうで仕事しないのに何故か信頼が厚いリーダー、リーダーのもとで甲斐甲斐しく雑用こなすマネージャー、なかなか集まらないチームメンバーにしつこく連絡を送り出欠表を完成させる連絡係、休日返上で集まった構成員にお弁当を用意するおせっかいママ。

などなど、安泰なフットサルチームにはお決まりのキャラを演じる参加者がいる。

これは会社における課やチームでも同じだ。

新人歓迎会と称した飲み会で、くだらない余興を新入社員に強要するのが良い例。あれは組織を運営するのにあらかじめ設定された必要なキャラに、新人を割り振るための品定めだ。

社会的な役割の中でしか生きられない人もいる

趣味の集まりなのに、自己紹介で真っ先に勤務先と役職を言うような人がいる。こういうタイプは、所属している社会から与えられた役割の中で生きている。

そして自分の夢や理想を会社が定めたベクトルに最適化しすぎて、遠からぬ将来、何が自分の理想だったのか忘れてしまう。

僕が大学を卒業してもう10年経つ。先月久しぶりに帰国して、仕事をバリバリ頑張っている同期と酒を飲んだ。そこで将来の目標みたいな話題になると「売り上げ目標を達成」「新規顧客をものにする」みたいな、職場のスポークスマンになっていた。

何かもっと個人的な夢は無いのかと言うと、昇進して結婚して子供をもうけて郊外に一戸建てを持つ、みたいな感じ。

こんなに自我がない状態で定年退職すると、現役時代の肩書を振りかざして老人コミュニティで煙たがられるウザい爺さんになるのだろう。

僕は社会的な役割を上手くこなせない

彼らとの宴席から学んだことを踏まえて、僕の人生がいまいち上手くいってない理由を突き詰めると「割り当てられた社会的役割をこなせない」ことに考え至る。

例えば「新規顧客を開拓してこい」と言われても、HISのサイトで安い飛行機のチケットを見たら、迷わず休暇をとってヨーロッパに行ってしまうような新人だった。

企業社会では、より責任の大きな役割をご褒美として与える習慣がある。プロジェクトに成功した主任を、課長代理に昇進させるような場合だ。

ところが僕にとって責任が増える事はただの罰ゲームでしかない。だから仕事で昇進したいとか評価されたい願望が全くない。これは仕事のモチベーションが低い大きな理由の1つだ。

でもまぁしょうがないよね

このままではマズいと思いつつも、早いものでもう33歳になってしまった。きっと僕は昇進もせず、結婚もせず、子供も作らず、郊外に一戸建てを持つこともないだろう。

でもまぁこれは僕のサガなので、もうどうしょうもないんだよね。

こんなんじゃダメだと思って、仕事に打ち込もうと様々努力した時期もあった。ただほどなく精神を病んでしまったので、本当に企業社会に合っていないのだと思う。これはシンガポールでも同じだ。

現状それでも企業社会に経済的に依存して暮らしていくしかない身分だ。でもいつしか僕の理想的な方法で最低限の食い扶持を確保しつつ、興味が赴くままに世界を放浪するような人生にしたい。