ADHD的な強いこだわりを自覚した夏の日

強烈に脳に刻まれている幼少の記憶がたくさんある。

これが幸せな思い出ばかりじゃないのが厄介で、30年前の記憶が急にフラッシュバックして「うっ…」となることすらある。30年。あまりにも執拗だ。そろそろ自由にしてくれてもいいんじゃないか。

嫌な記憶にまとわりつかれた時の対処法

でも、そんな幼少の記憶を今の頭で解釈し直すと、面白い発見があったりする。

今日は、病的に頑固な「こだわり」を、僕が初めて自覚した出来事からはじめよう。

ある夏の日

虫の音が響く夕暮れ時。季節は夏の終わり頃だったと思う。当時は今ほど暑くなくて、日が暮れると過ごしやすかった。そして日本にはちゃんと「秋」という季節が存在した。

この時、僕は小学1年生。

最初の夏休みなのに、人見知りな僕はずっと家にこもって孤独に過ごしていた。学校に友達と呼べる人は1人しかいなかったし、もともと独り遊びが好きなので仲間がいなくても楽しく過ごせるのだ。

ただ、母の考えは違った。夏休みの間ずっと家にこもって工作にふける僕を心配して、外で遊んでこいだの、友達をつくれだの、余計なことを色々言ってきた。

それでもまったく社交性を発揮しない息子に業を煮やした母は、外でお友達と遊ぶお手本を示そうとした。近所に住んでる3年生の女の子が家の前で遊んでいたので、母が声をかけて、庭で一緒に僕の好きな虫取りを始めたのだ。

近所の子をどうやって遊びに誘うのか、具体的に見せたかったんだと思う。まぁ実際は友達の誘い方がわからないんじゃなく、友達の必要性をわかってないのだから意味ないんだけどね。

この時、幼少の僕は母の行動に対して「強い怒り」を感じた。でもなぜ母に腹が立つのか理解できなかった。僕はテレビをつけて、子供番組を見るから外には行かないと意地を張った。

でも面白くない夕方の教育テレビに集中できず、外に出た2人の様子が気になる。気になる自分にさらに腹が立つ。でも意地でも仲間に入りたくなかった。記憶はここで終わっている。

今考えると、虫取りという「こだわりをもった嗜み」を、母と女子に土足で踏み散らかされたのが気に入らなかったのだ。僕は、哀れなバッタやカマキリを捕まえては、サイコパスな方法で虐殺するのが好きだった。そんなことを母親や女子と一緒にやりたいわけがない。

母がお手本を示したように、女子が好みそうな綺麗な蝶々を捕まえて一緒に愛でるとか、相手に合わせてやり方を変えるような器用さがなく、「虫取り=虐殺」という自分のこだわりを曲げるよう強要されたことが、ただただ許せなかった。

こんな風に僕は、こだわりをもっている対象に口出しされるのが昔から大嫌いなのだ。

三つ子の魂百まで

この「こだわり」は今でも変わらない。そのせいで人生損しまくっている。

例えば集団行動やチームワークが苦手なのもこれが原因だ。特に仕事となれば、会社のルールに従って作業する必要がある。コーディング規約とかね。でもこのルールが自分のこだわりに抵触する場合、強烈な不快感と従わずに突っ走る衝動にかられる。

でも勝手な行動ばかりするとクビになって露頭に迷う。だから頭の中に巣食う自分の中の悪ガキをなだめすかしつつ、衝動を押さえつけて作業をするのにとても疲弊する。

友達と一緒にいても、相手に合わせて自分のこだわりを曲げなければいけない場合は多々ある。これが対人関係エネルギーを消耗する。

「人付き合いエネルギー」の酒ブーストとリスク

頑固なこだわりとMyルールのせいで社会生活が困難な話は長くなるので別の記事で具体的に書こうと思う。