インドネシア人が支える日本の介護施設で自分の老後を考えた

シンガポールは中華・マレー・インドというコテコテ3民族からなる多民族国家で、さらに人口の1/3を外国人が占める。

そんな環境で暮らしているものだから、たまに帰国して日本人しかいない街を歩いていると不思議な気分にかられる。それでも帰国の度に外国人を見かける機会は増える。特に深夜営業の店はもはや外国人無しには成り立たないレベルであろう。

僕が日本で社畜していたときも深夜にコンビニに行けば、中国・韓国の学生さんと思しき人達にレジを通してもらうことは普通にあった。でも先月帰国した時は、ブラジル人と思しき茶色い肌の人たちがとても増えたと感じた。

外国人が増えただけでなく、出身国も多様になっている。日本も少しずつ、確実に国際化している。



自慢の祖母

僕の祖母は認知症を患い、地方の特別養護老人ホームにお世話になっている。数年に一度しか帰国しない不甲斐ない孫なので、とうの昔から僕のことを認識してくれない。

まだ元気だったころは昔の話をたくさんしてくれたものだ。

東京の下町で育ち、家が貧しく大変だった話。

女性として当時珍しく陸軍に志願し、太平洋戦争でフィリピンに駐留していた話。

フィリピンや東南アジアの地理に、僕よりずっと詳しくて度肝を抜かれたこと。

弟が産まれるときに僕の面倒を見てくれたこと。

見舞いの度に縮み衰えていく祖母に、返事を期待せず話しかけていると、こういう昔の記憶が次々蘇ってきて胸が苦しくなる。



世界中で介護を支えるインドネシア女性たち

祖母がお世話になっている特別養護老人ホームは、ヒジャブを被ったインドネシア人女性介護士で成り立っている。

もちろん日本人介護士さんも大勢働いてらっしゃるのだけど、入浴や食事の介助みたいな人手が必要な場面では、インドネシア人介護士さんが最前線で現場を廻していた。

思えばシンガポールにも介護士(Care giver)として働くインドネシア女性がたくさんいる。日本の老人ホームような施設が少ないので、シンガポールでは在宅介護が一般的だ。だから家族の介護が必要になったら、斡旋事務所に登録して必要なケアができる介護士を派遣してもらうらしい。

インドネシアの他にも、フィリピンとミャンマー出身の介護士さんと話したことがある。彼女らいわく、近隣新興国の人たちを召使いとみなし、メイドやベビーシッターの仕事まで押し付けてくるシンガポール人が多いという。そして契約と違う仕事内容に抗議するとクビになる理不尽な労働環境だと。

それでも自国に仕事がない。東南アジアの新興国は、日本でいえば戦後の高度成長期のような人口動態にある。就労人口がわんさかいて、福祉が必要な高齢者が少ない。だから介護士はたくさんいるのに、介護を受ける裕福な老人は少ないのだ。

さらに、英語圏で介護士は供給過剰なところがあり、給料があまりに安く、条件の良い仕事を見つけるのが難しいという。

そこで、勉強ができる優秀な介護士は日本語スキルを積み増して、売り手市場の日本を目指すのだ。

僕の老後はどんなだろう

高齢化が進む地方都市で、日本ではまだまだ馴染みの薄いムスリム女性が大勢働いている光景は近未来的だった。

外国人慣れしていないうちの母などあからさまに驚いていたけど、遠からぬ将来、僕の両親も介護を受ける時が来る。そしてその時には、外国人介護士の割合がもっと増えているだろう。

じゃあ僕の老後は…。

そもそも年金が無いし、福祉のお世話になれるほど貯金を作れるかもわからない。終身雇用が崩壊しているので退職金も見込めない。さらに、介護を頼める家族をつくるつもりがない。

そして…介護施設の雰囲気。

回復の見込みがある病院と違い、終の住処である特別養護老人ホームは「死を待つ場所」だ。未来・可能性とは無縁の、まさに人生の行き止まり。介護施設で働き、人生最後の一時に向き合い支えている人たちには本当に頭が下がる。

僕が将来ここにお世話になるおカネはないけど、認知症を患ったら他に選択肢がない。祖母の見舞いに行く度に、僕は叫び出したいほどの絶望感で押しつぶされる。

健康寿命を楽しく生き抜いて、誰にも迷惑をかけずに人生をおしまいにすることは出来ないだろうか。老後の準備のために健康寿命を捧げるような現代の生き方は、僕にとって絶望でしか無い。

日本やシンガポールをはじめ世界の先進国は、現状の福祉制度を崩壊させるほどの超高齢化社会になる。

選択的安楽死など新しい終末医療に期待する。