孤独耐性は海外生活に必須のスキル

英語圏の友達ができるとLet’s chill out!って誘われることがある。日本語で言えば「だべろうぜ」みたいな感じか。

え?

…駄弁るは死語だって。つらい。。。

…気を取り直して。

つまりLet’s chill outとは、特に目的もなく集まって、グダグダと喋ろうぜと言うことだ。

今住んでいるシンガポールで、僕はこれが途方もなく苦手だ。

日本みたいにアルコールがあれば対人関係エネルギーをブーストして、それなりに楽しむことができる。ところがシンガポール人は集まっても酒を飲まないので、僕だけが1人で出来上がってバカなことをすると、その場でかなり浮いちゃう。ツラい。

ストレス発散が必要な人、エネルギー充電が必要な人

そもそも何の目的もない集まりが苦手だ。悩みを聞いたり、趣味が合う人と情報交換したり、一緒にテニスやスケボーを練習したり、何でもいいから有意義にその場を過ごしたい。

他人と関わるには対人関係エネルギーを消耗するのだから、それに見合った満足感が欲しい。

なんで意味もなく集まるんだろう

と言うわけで、僕は酒も飲まずにグダグダ集まる意味が全くわからないけど、結局彼らは寂しさを埋めたいんだと思う。または同じレベルの奴らとつるんで、何の努力もせずに「俺は大丈夫」と安心したいんだろう。

いわゆる駄サイクルってやつ。

他人の評価で自己肯定感を支えるのを止めた話

会社の人間と無駄につるみたがるおっさんも同じで、家庭に居場所がなくて仕事もぱっとしないけれど、同じようなイケてないサラリーマンと飲みに行くことで、根拠のない自己肯定感を得たいんだ。

僕はこういう他人と比較して得られる自己肯定感を否定する。

駄サイクル中に生きているうちは、具体的な努力と進歩がないので、人生が先細っていくばかりだからだ。

寂しいと言う気持ちがない

僕には寂しいと言う感覚が欠如している。

言葉が通じないインドみたいな途上国を1人で旅していても「さみしい」とあまり感じない。

騙してくる詐欺師の少年を逆に騙し返したりすれば「あぁ今日も人類と友好を保てた」ってな満足感を得られる。

今まで寂しいという感覚がない自分を、人間としてどこか終わってるような否定的に認識していた。

でもそういえば、「寂しい」「誰かに会いたい」と悲痛に連呼する人はシンガポールで長く暮らせていない。ちょうど在住丸5年だけど、僕が移住してきた時にお世話になった人たちはもうほとんどこの国に残っていない。

もしかすると単身海外に住んでお気楽にやっていくには、僕のように孤独を好むようなタイプが向いているのかもしれない。

孤独耐性は海外生活の必須スキル

外国人として外国にいる人は、現地の人と結婚して家庭を持っている場合を除き、一生そこにいるわけではない。

正直あまり面白くないので、シンガポールに住む意味は給料の良さと働きやすさに終始する。定着する人は国籍問わず非常に少なくて、3年ぐらいするとほとんどの人は生きる意味を見失って他の国へ引っ越したり、祖国に戻ったりする。

だから仲良くなっても3年以内にお別れとなる人がとても多い。

その中、長いことこの国に留まってる人は、今思えば一匹狼タイプというか、1人でも楽しめる趣味を持っていると思い至った。

苦手意識を強みに変える

クラスでどうしても浮いてしまう、家庭に居場所がない、友達を継続的に維持するのが難しい、職場の人間関係に悩んでばかりいる。

こういう人は自分にネガティブなことが多い。

でも実は、誰にも頼らずに自分の生活を維持できるというのは、大きな強み。特に気の合う仲間を見つけるのが難しい異国では、誰にも依存する必要がないというのは重要なサバイバルスキルだ。

だからうまく生きられないと思うなら、それは自分が悪いのではなくて今いる社会環境が悪いのだ。上手いこと自分の強みを生かせるような場所に移動したならば、その社会で花開く可能性は充分にある。