相手が心地よい認知方法にあわせるのがオモテナシ

夏休みに気になる女子をビーチリゾートに誘うとしよう。実際はシンガポールに来てから全然女子が気にならないんだけどね。メソメソ…。

さて。

ここで、その気になる女子が日本人なのか北米白人なのかで戦略が異なってくる。

日本女子向けには、白い砂浜と快晴の空が印象的なパンフレットを用意する。ページをめくれば海の見えるテラスに用意されたフレンチのフルコース。写真がメインで値段はあえて書かれていない。

一方、白人女子向けには特に何も用意しない。二人で話せるようお茶にでも誘って、白い砂浜と快晴の空がどんなに素晴らしいか、フレンチのコースがどんなに美味いか、君と二人で行けたならどんなに幸せかを、しつこくない程度に語りかける。

なお、実験サンプル数ゼロなので読者諸氏はアテになさらぬように(=^・・^=)

地球の歩き方とLonely Planet

「地球の歩き方」はバックパッカーの聖書だと思ってたんだけど、最近の若い人は「るるぶ」なんだね。

さらにキラキラ女子向けに「ことりっぷ」とかいうキラキラ本があって度肝を抜かれた。アレを読んでキラキラインドに行ったら、空港出た瞬間にウンコを踏んでキラキラ女子はショック死するんじゃ…。

まぁ地球の歩き方にしろ、ことりっぷにしろ、日本のガイドブックは写真がメインだ。レストランは外観と看板メニューがカラーで載ってるし、史跡についても写真入りのデカい地図がついている。

僕もこれが世界一わかりやすくて良いと思ってたんだけど。

ある日、旅路で出会ったドイツ人に地球の歩き方の写真を指差して「ここ一緒にいかない?」って言ったら「そこに何があんの?」って聞き返され耳を疑った。ページには有名なアユタヤの遺跡がデカデカと載っている。こいつはアホなのか。

すると彼はLonely Planetを取り出して、該当の遺跡のページを開けた。そこには「アユタヤ遺跡群は1400-1700年ごろに繁栄した王朝跡で1991年に世界遺産に登録され…」などとびっしり文章が書いてあった。写真はほとんど載ってない。

しばらく読みふけっていた彼は「うん、面白そうだね。北のターミナルからバスが出ているらしい」などと、誘った僕よりも詳しくなっていた。

地球の歩き方で興味ある場所を見当つけて、交通手段や料金なんかはGoogleで最新情報を探すのが当然だと思っていた僕にはカルチャーショックだった。

民族によって認知の手段が違う

つまり、日本人には写真や図解の印象で直感的に判断する人が多い。一方、白人には出来るだけ多くの情報を言葉で入れて判断する人が多い。

これはガイドブックだけじゃなく、街を歩いていると至る所で感じる。

例えばレストランのメニュー。日本は牛丼屋からオシャレなレストランまで、メニューに写真がついている。いっぽう、キリスト教系白人国家では文字で材料と調理法つらつら書かれているだけだ。

他にも、日本のバス停の案内版には大まかなルートマップがついてるけど、これが欧州だと周辺施設の名前が列挙されているだけで土地勘がないと戸惑う。

英語試験TOEICでイベントのお知らせを読ませて内容の理解を問うアレ、あれも日本だったらイラストや地図なんかをゴチャゴチャ載せてカラフルにしそうなところだ。

この違いは、日本が親切で白人国家にオモテナシの心が足りないというわけじゃない。単純にそこに暮らす人々の認知の方法が違うのだ。

日本のファミレスに来た外国人が「これの材料はなんなの?」って質問して店員が困っているのに遭遇したことがある。ベジタリアンやアレルギー持ちにとっては「ベーコンと玉ねぎをオリーブ油で炒めたパスタ」って書いてあった方が、見栄えの良い写真より必要な情報が得られるのだ。

相手が心地よい認知方法にあわせるのがオモテナシ

この様に、民族によって心地よい認知方法は異なる。

日本女性を誘うなら綺麗でわかりやすい写真、白人女性なら具体的な説明と自分のストレートな気持ち、他にも宗教の神々に例えたり、経典を引用したり、歌ったり踊ったりするのが心地よい民族がいるかもしれない。

異国の人とじっくり話して、こういう感覚の違いに気付くことに僕は深い喜びを感じる。分かり合えなかった原因と、これから分かり合うための具体的な方法が一気に得られる感じ。

これが多民族国家シンガポールに住む楽しさであり、旅を止められない理由。