ゆったりとして締め付けない服装が好きだ。それでMサイズな体型にも関わらずLを買ったりする。ファッションに興味がないから好みのブランドとかわかんないけどね。
逆にスーツにネクタイみたいにガッチリな服装だと、着てるだけで体力を削がれる。あの格好で満員電車に揺られ、毎晩遅くまで働いていた日本のサラリーマン時代はすごくツラかった。もしかしたら軽度の感覚過敏のなのかもしれない。
そこ行くとシンガポールはTシャツ短パンで何処へでも行けるから天国。しかも今働いている会社が私服勤務可なので、もう文句なし。超快適だ。
こんな感じで、肌に触れるもはデザインより肌触りやサイズのゆとりで選ぶ。これは寝具についても同じで、特にタオルケットに対するこだわりが強い。それはもはや「執着」とでも言うべきレベル。
ブログを始めてから発達障害持ちの人達と話す機会が増えた。それでよく話題にするのが「タオル地良いよね」って話。かなり高確率で賛同してもらえる。
もしかしたら布地の肌触りに強いこだわりを持つのは発達障害の特徴なのかもしれない。今日はここら辺の話を書く。
タオル愛を語らせて
タオル愛に目覚めたのは、まだ小学校にも上がっていないくらいの幼少期だ。父親が使っていたタオルケットを夜中に毎晩奪い取るので、諦めた父親がしばらくして譲ってくれたのだ。
これが1代目タオルケット。染み付いた父親の匂いが、徐々に自分の体臭に入れ替わっていくのがとても幸せだったことを覚えている。
2代目は僕が小学生の時に、あまりにもボロボロになった1代目タオルケットの代わりに母親が買ってくれたものだ。雑巾レベルでも1代目をとても気にいっていたので、新しいものに交換するのにかなり抵抗した記憶がある。
でも最終的にその緑色のタオルケットをたいそう気にいって「ミドリくん」と命名。キャラクターまで作って彼を主役に漫画を描き始めたくらいの入れ込みようだった。
ミドリくんには大学受験を控えた高校3年生までお世話になった。さすがに薄っぺらくなりすぎて冬の寒さに耐えられなくなったので、新しいタオルケットを買ってもらった。これが3代目で今でも現役の「ワワワたん」である。
結論として、ワワワたんの「若かった頃」の肌触りがタオルケットの最上級。10年以上連れ添った今では、彼もさすがに薄っぺらくなってしまったけどね。大人になって自分の欲しいものに際限なくお金を注ぎ込めるようになってからというもの、ワワワたん並みの極上の肌触りを、常に探し求めている。
それで2年前に帰国した時に彼の後継者を見つけるべく、南青山の今治タオル専門店へ赴いた。とは言えすでにお目当の品は電話で予約済みだ。ワワワたんの後継者に成り得る日本最上級のタオルケット、それは今治タオルブランドの最高峰「極」だ。極は普通ハンドタオルやバスタオルなんだけど、数量限定でタオルケットも生産しているらしい!
シンガポールから国際電話をかけて、お店の人に無理を言って帰国の日まで取り置いてもらった。
そんなわけで今3代目「ワワワたん」と一緒に見習い期間中なのが4代目である。名前はまだない。見習いを修めて晴れて3代目が引退を迎えたら「ワワワたん」を襲名するかもしれない。
まぁこんな感じで僕はタオルケットをペットのように扱っている。
1年くらい洗濯しない
タオルケットに重要なのは肌触りだけじゃない。染み付いた自分の体臭にも癒し効果がある。
嫌なことがあってストレスを溜めたり、しつこい不安に駆られた時、モフモフのタオルケットに顔を埋めて自分の臭いを嗅ぐと、本能レベルで心が静まる。この鎮静効果がなかったら、僕はとうの昔に発狂していただろう。
タオルケットこそが唯一絶対的な安全地帯、サンクチュアリィ。だから、タオルケットを洗うことは僕にとって生命の危機だ。
それでもさすがに1年も洗わずに使うと、全体的に黄ばんでくる。これはさすがに洗わないと自分でも汚いと感じる。で、断腸の思いでタオルケットを洗濯機に放り込む。カラッと乾いてかすかな洗剤と太陽の香りをまとったタオルケットは、どこかゴワゴワと頼りなく、癒し効果が半減している。
そんでまたここに自分の臭いをつけていくのが幸せだったりするんだ。
気持ち悪いよね。
わかるよ。
このフェチズムは親を含め定型発達の人にはまず理解されず、気持ち悪がられる。無理は無い。黄ばんだタオルケットに顔を擦り付けて匂いを嗅いでいるのだからね。そんなんだから、たまにブランケット症候群の友達ができると嬉しい。このブログをやってから、そういう貴重な人たちに出会えてとても幸せである。
実は絶対に裏切らない理解者が昔から1人いて、それが実家で飼っている愛犬様である。
彼にもお気に入りのタオルケットがあって、ほんとに小さい子犬の頃からそれを寝床にしてきた。そんなんだから獣臭さが強くなって、お袋に取り上げられてしまうと、すごく不安そうな顔をする。それで洗濯から戻ってきたお日様の匂いがするタオルケット渡されると「これなんだけど、これじゃないんですよ」みたいな不満そうな顔をするので可愛くてしょうがない。
タオルケットを卒業する時
僕は流浪の民なので、こんなふうに寝具にこだわりがあると困る場面がたくさんある。
ちょっと奮発して3万円もするホテルに泊まったとしても、すべすべのシワひとつないシーツに強烈な違和感を覚えてしまう。それが清潔と手入れの完璧さを表すものだったとしても、満足できない。
だから旅行の時にはタオルケット持っていこうかとても悩む。ところがこれが黄ばんだ雑巾みたいなやつだ。僕1人ならもちろん幸せになれるラッキーアイテムなんだけど、同行者がいる場合は一撃で気持ち悪がられてしまう。
そんなわけで睡眠の質にも影響与えるタオルケット依存は、海外で流浪の民をする上で鬼門なんだけど、これに関して長いこと世界を旅をして気づいたことがある。
仕事をせずストレスが全くない自由な毎日を送っていると、バックパックからタオルケットを取り出す頻度がどんどん減っていくのだ。タオルケットはあくまでストレスから身を守る道具であって、ストレス自体がなくなってしまえばその役割もなくなる。
そんなわけでタオルケット依存から脱出する方法はもうわかっているのだけれど、相変わらず4代目ワワワたんにくるまりながらこの記事を書いている僕なのである。
タオルケット大好きな方は、ぜひコメントください。愛用のタオルケット自慢でも構いません。タオルケットへの愛を語り合いましょう。