ブログを偉そうに書き殴っているせいか、最近は人生相談をお受けする機会が増えた。
あ、直接僕と知り合いじゃなくてもVALUで5VA買って頂ければいつでもLINEで相談乗ります(=^・・^=) Youtuberがヘタこいたせいで、このままではVALUが花開くことなくオワコンになってしまう。。。ちゃんと宣伝していかないと!
そんな話はどうでもいいとして。
周りの人の悩みを聞いていると、それぞれ状況は違えど、みんな同じような不安を根底に抱えていると感じる。
それは、歳とともに人生の価値が目減りしていくような感覚。
僕の中にも同じ不安がある。この漠然とした焦燥感はなんだろう。
今日は、アラサーが抱える慢性的な不安感「三十路病」について書く。名前を適当に考えたんだけど「三十路病」でググるとめっちゃたくさん出てきた。著作権的に問題があったら教えてください。。。
親と同じステータスを得られない
そこそこ有名な会社で問題なく勤めているのに、昇進できないことを悩む。そこそこ美人で恋愛に事欠かないのに、専業主婦になれないと悩む。夫婦でそこそこ仲良くやってるのに、子供を授からないと悩む。
僕からしたらみんな幸せそうなのに、本人はどうにも満足できないっぽい。
自分に足りない部分にばかり過剰にこだわって、すでに手に入れている幸せを見過ごしている。こういうのを「認知のゆがみ」というらしい。
経験上、認知のゆがみは他人と無駄に比較するクセが原因だったりする。具体的には、無意識に自分の親と比較しているアラサーが多い。
立派な大企業の正社員なのに「父ちゃんと比べて」出世できそうにない。仲のいい彼氏がいるのに「母ちゃんのように」専業主婦になれない。母ちゃんが自分を産んだ年齢になったのに子供を授からない。
こんな感じ。
いろんな人のお悩みをきいているうちに、三十路病とは「親の地位にまで到達できずに歳だけとっていく焦り」という結論に達した。
自分で人生の舵取りをする
そもそも生きている時代や経済状況が違うのだから、親と自分の人生を比べることはできないはず。それでもついつい比較しちゃうのは、自分の人生の舵取りを他人任せにしているからだ。
自分にとって何が幸せなのか今まで一度も考えたことがないから、自分の「幸福度」を測るのに他人と比較するしかなくなる。
典型的なのは「良い学校、良い会社、良い人生」という「ジャパニーズ・ドリーム」こそが幸せと漠然と信じていると「このくらいの歳ならばこのくらいの地位であるべき」みたいな考え方になってしまう。年功序列が機能していた親世代の人生設計は、バブル崩壊後の現代では通用しないにも関わらず。
そして子供を育て上げている時点でジャパニーズ・ドリームのある程度の成功者である両親と比較すれば、そりゃ焦り不安になるだろう。
僕もかつてそうだった。
でも東日本大震災をキッカケに、大衆の「量産型人生」を支えてる社会基盤が、実はハリボテだったことに気付いた。そこから、リスクと責任をとってでも「オーダーメイドの人生」を歩もうと行動を始めた。ジャパニーズ・ドリームみたいな他人の価値観じゃなく、自分が納得のいくように生まれて初めて自分で人生を舵取りし始めた。
それで流れ流れて、今は南の島のシンガポールでパンツのゴムが伸び切ったような生活をしている。オーダーメイドの人生を生きていれば、親よりステータスが低くても気にならない。
だって毎日楽しいんだもん。
大衆から距離を置く
あいつより年収が低い
あの人は結婚したのに彼氏すらできない
子供の成績が友達の子供より悪い
あいつが買った家は高くて自分は買えない
オーダーメイドの人生にどこかで切り替えなければ、なんでもかんでも他人と比較しては不安に駆られ、文句たらたら歳を重ねていくことなる。
今すぐ「誰かと比較した幸せ」から人生をとりかえし、自分が納得する生き方を模索していこう。とりあえず大衆は無視して、自分の意志と責任で進む方向を定め、後は何を言われようとひたすらそっちに進み続ければいい。
読者の皆さまの幸福を願っております。VALUもよろしく(=^・・^=)!