凍てつく風に欅の枯葉が舞う、よく晴れた冬の日の思い出

昔の痛々しい記憶がなんの前触れもなく蘇って「うっ…」と肩をすくめる。「フラッシュバック」といって、発達障害につきものの困った症状だ。

嫌な記憶に何度もメンタルを削がれて消耗するんだけど、たまにすごく昔の記憶がフラッシュバックすることがある。最近は慣れたもので、こういうのをブログのネタにしていこうくらいに思っている。

嫌な記憶にまとわりつかれた時の対処法

よく晴れたとある冬の日。凍てつく風で欅の枯葉が足元を流れていく。

自分の視界が低いので、多分小学校5年生くらいだと思う。1人の女子、今からすれば女児が、僕のことを見下ろしている。

この時期、ガキのまんま男子に対し、二次成長の入り口にある女子の方が体格が発達している。知能の発達でも後塵を配して口喧嘩でもどんどん勝てなくなっていき、体格的にも自分を追い越していく女子を、僕はこの頃意味不明なほど敵視していた。

童貞は恥ずかしくない!シンガポールで彼女を維持するのは時間の無駄。

1日中日陰になっているジメジメした給食室の前に呼び出された僕は、よくわからないことで彼女に文句を言われる。僕はイラついて言い返す。そう感じるのはお前が悪いと。

その女子が泣き出す。

具体的にその時何を言われたのか思い出せない。ただ彼女の表情と、冬の寒さで高揚した頬に伝う涙だけは、四半世紀経ったいまでも鮮明に思い出せる。

僕は自分が悪いことをしたとは微塵も感じない。ところが相手は僕が発した言葉に涙を流すほど強く反応示す。僕はただ困惑する。なぜ彼女は泣くのだろう。皆目わからない。

彼女が立ち去る。少年の日の僕はその場で立ち尽くして長い霜柱を見ていた。

凍てつく風に欅の枯葉が舞う、よく晴れた冬の日の思い出。

表情や声のトーンから感情を読み取れない

それから四半世紀。同じようなことが何度も何度もあった。

僕の前に立ちはだかるのは、もはやいたいけな女児ではなく、仕事上の上司や、付き合っている大人の女性なのだけど。

彼らは僕に対し感情を荒げ、大きな声で批判をする。でも僕自身はその声でうるさいなぁ位にしか感情を動かされない。ただただ相手が疲れて落ち着くまで耐え忍ぶ。

声による意思疎通とはなぜこんなに効率が悪いのか。

人類進化のバグなんじゃないか。

僕は人の表情や声のトーンから感情を読み取ることができない。目の前で微笑んでいる人がいても、それが好意の微笑なのか、バカにしている冷笑なのか、判断することができない。

正確には強く集中して、全身全霊を表情や声色に傾ければ、ヒントぐらいは得ることができる。ただこのような繊細なコミニケーションはとても消耗するので15分ぐらいしか続かない。それ以上頑張ると尋常じゃなく疲弊して、しばらく布団で寝て過ごす羽目になる。

今思えば、あの冬の日に紅のほっぺを涙に濡らしたした彼女は、僕に好意を告白してくれていたのだと思う。ガキの僕はそれに気付くことさえなく、彼女の好意を踏みにじった。

文字伝達は発達障害に有利

時は流れて21世紀。発達障害には良い時代になりました。

コミュニケーションが圧倒的に文字ベースになったもんね。

メールやチャットでは、表情とか声の抑揚で複雑な感情を伝えることができない。だから必要なことは全部文字にしないと伝わらないのが常識だ。

口頭伝達だと、声のデカい人が言うだけ言い放って、うまく受け取れない人が批判される。ところが文字伝達だと、上手く必要な情報を発信できない人が批判される。曖昧な文章しか書けない人は、仕事がデキず逆に困るようになった。

この立場の逆転はデカい(=^・・^=)!

ようやく世の中が発達障害に追いついた感がある。

なんとフラッシュバック1発で記事が書けてしまった。便利だ。