20代で1年間自由に過ごした幸福な記憶

80歳以上の高齢者を対象に「人生で後悔していることは?」と質問すると、なんと70%の老人が「チャレンジしなかったこと」と答えるそうだ。

わかる。

日常っていう同じような毎日の繰り返し。これはラクなんだ。もちろん仕事はキツいし、人間関係は面倒くさいし、将来の不安だってある。

それでも、明日も今日と同じような日になることが確定している毎日。そういう日々は「人生を決定する責任=チャレンジ」を放棄していられる。

なんとなく毎日をやり過ごしていれば、なんとなく幸せになれるような錯覚。そして、なんとなく歳をとって、気付けば80歳ということなんだろう。

一度この「日常のループ」にハマると、抜け出すのは容易じゃない。しかも日に日に保守的になって、人生を変えていこうというチャレンジ精神が痩せ細っていく。

量産型人生の葛藤と、オーダーメイド人生の不安

結局、僕は人生を決定する勇気を最後まで持てず、うつ病で日常のループから強制退場となった。それで1年間、興味の赴くままに世界を放浪して、流れ着いたシンガポールで人生をやり直すチャンスに恵まれた。

いわば強制的にチャレンジせざるを得ない状況に放り込まれた感じだ。

興味が赴くままに過ごした放浪の1年間

今までの人生を思い返して「あの時マジで幸せだったなぁ」と思える記憶があるだろうか。そういう幸福な記憶って大切で、なんかツラいことがあって自分が無価値に感じた時に、そこから立ち直る精神的なスタート地点になる。

自分に生きてる価値がないと思うなら

ただ僕の場合、たぶん発達障害的なアレコレで日本のどの社会にも馴染めなかった。だから日本にいる時に「心の底から幸せだった時期」というのは思いつかない。

日本脱出してから人生始まった感がある。

発達障害で仕事詰んだら手に職つけて多民族国家へ移住するとラクかも

カネと時間と健康に全部恵まれた放浪の1年間は、僕にとって紛れもなく幸福な時間だった。

ちょうど僕が放浪を始めたのは、為替相場の是正を目指す安倍政権の誕生と重なっていた。アベノミクスとかいう日銀の大規模な金融緩和によって、僕が旅をしていた間に1米ドル80円から105円まで円安に振れた。

この期間は何も考えずにロングでポジションを持っておけば、政府お墨付きで旅の資金が稼げる状況だった。これであまりおカネの心配をせずに世界をブラブラすることができた。

健康については、フィリピンに1ヶ月沈没している間にうつ病がかなり回復した。もちろんクスリは手放せない毎日だけど、フルニトラゼパムとデパスとジェイゾロフトさえ切らさなければ旅をするのに困らない。

フィリピン・セブ島でビール飲んでたらウツ病が劇的に回復した話

それまでがどん底だっただけに、南国の砂浜でビールを一気飲みして「元気があればなんでも出来るダーーーーー!!!」とか叫んでいた(=^・・^;=)

20代で放浪ができて本当に良かったと思っている。。。

無職は恥だが癖になる

シンガポールでの「日常」も今月で6年目に入った。最近、そろそろまたチャレンジするべき時が来たと感じる。

無職は恥だが癖になるのだ。