ADHDの僕が協調性のなさを本人目線で解説するよ

昨日はシンガポールで珍しい参加型アートのイベントに参加してきた。

なんでも壁に絵を描くという。落書きすると鞭打ち刑になるシンガポールでどうやるんだろうと思ったら、ベニヤ板のハリボテに予め決められたデザインを模写するというオチ。

参加者は20人ほど。ここで集団行動が苦手で協調性のない僕のダメな部分が出てしまい、最後まで主体的に取り組むことが出来なかった。

それだけで終わるのは悔しい。

今日は自戒の念を込めて、僕がチームで力を合わせて取り組むべき場面でどういう風に感じるのかを書く。

衝動を抑えられない

僕はそもそも「塗り絵」が苦手だ。ゼロから絵を描くのが好きなこともあり、予め決められた線に沿って色を塗るだけなんて拷問のようだ。どうしてもオリジナリティを織り込みたくてウズウズしてしまう。

例えルールを破ったとしても。

ここが問題だ。「みんなでデザインをデッカく壁に模写しよう」というイベントなのに、各人勝手に落書きを始めたらせっかくの趣旨が台無しになる。それはわかってるのに、自分のキャラクターや表現方法を描き込みたくてしょうがない。

主催者に迷惑をかけるまいと衝動を押し殺していたけど、いつしか葛藤に疲れ果てて椅子で居眠りしていた。

こだわりが強すぎる

視覚過敏に関係あるのか定かじゃないけど、僕は色の違いに敏感だ。特に酔っ払った時が顕著で、同じような色でも細かい違いが気になる。

最近は交差点の信号がほとんど発光ダイオードになった。でも僕が免許を取った頃の信号機はまだ白熱電球で、特にミドリ信号の色にムラがあった。直射日光に晒されて白茶けた南向きの信号と、真新しい信号では、全然違う「みどり色」に見える。

もちろん全部「進めの合図」として認識はできるけど、全然違う色が同じ意味で運用されていることにイライラしたものだ。定型発達の人向けに極端な例えをすると、もしオレンジ・ピンク・えんじ色が全部「赤信号」として使われてたらイライラするでしょう。

こんな風な色のこだわりが出ちゃって、昨日のイベントは疲れた。

同じミドリ系統のペンキでも、影に使うくすんだミドリ色や、背景に使う黄緑色があらかじめ主催者によって用意されていた。

ところが参加者の多くは色の違いが気にならないらしく、ミドリ系の色ならインクを使い分けないばかりか、ろくに洗わずに同じ筆をインク壺に突っ込む人がいた。それでいろいろな緑色のインクがちょっとずつ混ざって、インク壺ごとの緑色の境界線が曖昧になってきた。それをあちこちに塗りたくるものだから、同じ部分でも端から端に行くにつれて違う緑になっていたりして困惑した。

こんな風に、普通の人が気づかないような無駄なこだわりがいろいろな部分にある。自分の方が極端なのだから面と向かって文句を言うこともできず、静かにイライラする。他にもスピーカーの音質や、部屋の照明・空調にも同じようなこだわりがある。

自分のやり方を乱されるのが嫌

「ここは任せたわ、あっちが終わったら手伝うわね」みたいなのはチームワークの基本。

ところが僕はこれが苦手だ。

担当したからには自分のこだわりを惜しみなくつぎ込んで、最後まで完璧にやり遂げたい。同様に、執着している仕事を他人に引き継ぎたくないし、他の人が中途半端に手をつけた仕事を途中から引き継ぐのも気持ちが悪い。

自分のやり方というものがとてもハッキリしているから、別の人の哲学で進められた作業を、そのやり方ごと踏襲して引き継げない。

これではチームワークが基本の作業が全部苦手になってしまう。社会人として致命的だ。

だからといって自分の仕事に愛着を持たないと、そもそも作業が手につかず、いつまでたっても終わらない。先延ばしにしてしまう。

タスクを先延ばしするとADHDの二次障害で鬱になる

思い通りにならないと放っぽり出してどっか行っちゃう

そんな感じで、僕はチームワークが求められる集団行動が苦手だ。

「普通に振る舞わなきゃだめだ」「みんなに迷惑をかけちゃいけない」

そんな道徳心から、しばらくは衝動を押し込めて、その場で自分にもできることをやろうと試みる。でもこれはものすごいエネルギーを消費するので、しばらくすると疲れ果て何もかもが嫌になってお布団にダイブしたくなる。

でも大抵そういう場所にお布団はないので、とりあえずストレス源であるその場から物理的に離れて、街のお布団であるコンビニに駆け込んでビールを買う。

僕は酔っ払うと大抵のことがどうでもよくなるので、缶ビール片手にヨタヨタと空を見上げながら散歩する。こうなるともうビールを飲む前に何をやっていたかなんて、宇宙の彼方。

ハッと我にかえると1時間くらい徘徊している。

それで昨日は慌ててイベント会場に戻るも、もうお開きモードになって、結局主体的にイベントに貢献することができずに1日が終わった。

仕事がデキない・友達も限られる

そんな感じで僕は集団行動やチームワークが絶望的に苦手だ。

でも昨日のアートイベントはブログ仲間のJessica嬢と行ったので安心。彼女は僕と真逆の性格で、社交性と協調性が天才的に高い。だから僕のような変人にも柔軟に歩調を合わせてくれる。

そんな理解のある人達の他には、僕と同じように発達障害気味の人たちとも仲良くできることが多い。

特に自閉症スペクトラム(ASD)持ちの女性たち。

当然、僕は他人の発達障害に典型的な行動を責めない。発達気味の人も、おそらく僕が同じような変な行動をとるので、親近感を持ってくれるのかもしれない。

とはいえ仕事となると上司や同僚やお客さんを、自分で選り好みすることは出来ない。従って僕は仕事内容より先に、職場の人間関係で詰む。

多文化共生国家シンガポールで全員参加イベントは大変

発達障害は生まれつきの脳の構造によるらしい。だから小手先の努力によって、僕らの特性を「普通」に矯正するのは難しい。

それならば、僕らが生きやすい社会に人生をシフトしてしまうのが根本的な解決策になり得る。

発達障害で仕事詰んだら手に職つけて多民族国家へ移住するとラクかも

「常識」の概念があいまいな多民族国家に移住して、各自の仕事が明確に分かれている欧米資本の企業に勤めると楽に生きられると僕は確信している。