ふと気付くと教室に誰もいなくなっている現象に名前が必要だ

ふと気がつくと周りに誰もいなくなっていることってありませんか?

……ないですか、そうですか(=^・・^;=)

この衝撃的な出来事を最初に味わったのは、僕が幼稚園生だった時だ。

今から実に30年近く前になる。

その時、僕は唯一の友達だった男児と、砂利道で遊んでいた。僕らは泥団子をつくるのにハマっていたんだ。

適当な赤土を水で捏ねて、キメの細かい粘土質の粉末である路肩にたまったほこりで磨き上げると、黒光りする宝石のような硬い泥団子ができあがる。

これを母親から教えてもらった時は衝撃だった。

だって子供にしてみればそこら辺の砂も、ドロも、赤土も、すべて同じ「土」だろう。それが、泥団子の中核に使うべき赤土、その表面を覆う粘土質、どちらにも使えない砂という、全然違うカテゴリーの材料に分散するのだ。

幼稚園児だった当時の僕は、こんな風にそれまで同じカテゴリーだった概念が、その細かな性質によって違う存在に枝分かれしていく現象に執拗な興味を持っていた。

そんな折、園長先生が幼稚園の水飲み場を工事し始めた。ひび割れてザグザグだったコンクリートを塗り直して、きれいにしていたのだ。余ったセメント材は、当時いい加減だったのでそこら辺の砂利道に打ち捨てられた。

幼稚園バスからその状況を眺めていた4才の僕は、こう考えた。

あのセメント材の混ざったドロドロで泥団子を作ったら、最強に硬い、無敵の泥団子になるであろうと。

そんなわけで、お昼休みになるとお遊戯室にみんなで集まってお弁当食べる時間にもかかわらず、一目散にセメントが打ち捨てられた駐車場の砂利道に走っていき、泥団子作りに熱中した。興味に取り憑かれるとルールを無視しちゃうのは昔からなんだよね。。。三つ子の魂百までか(=^・・^lll=)

その当時、下僕にしていた男児も道連れにした。

どのくらい時間が経っただろうか。ふと気がつくと、下僕君はおろか、お弁当を食べ終えて周りで遊んでいた園児たちも消え失せていた。側から見れば僕だけ神隠しにあったようだが、僕の視点からは他の全員が消え失せているので、僕だけを仲間はずれにして世界のみんなが神隠しにあったようだ。

園に戻ると、ガラス窓ごしにさくら組の園児たちが整列して、何やら身に覚えのある踊りを練習しているのが見える。お弁当の時間はとうの昔に過ぎ去り、次のお遊戯の練習が始まっていた。

その後、園の問題児である僕が、どの様に処遇されたのかは覚えていない。記憶とは我ながら都合が良いもんだな。

でもこのようにふと気づくと今までそこにいたはずのクラスメイトが消え失せて、僕だけが時間に取り残される体験は、この後大人になるまで何度も経験することになる。

ふと気付くと教室に誰もいなくなっている現象に名前が必要だ

とりあえずこの現象を「僕だけがいない街」とする。なお、このマンガはゾクゾクするほど面白いのでオススメ。

過集中とは恐ろしい。

発達障害に特有の「過集中」と言う特性。ADHDは普段集中力が欠如しているだけに、心奪われる対象が発生すると、定期預金を切り崩すように一心不乱に取り組む。その最中に話しかけられてもチャイムが鳴っても気づかない。

その時僕の周りで何が起きて、周りの人は何を感じているのかわからない。

だけど、とにかく、ふと気づくと2時間くらい時が進んでいて、周りにいたはずの皆は目の前から消えている。そこであたりを見回し、時間割りと時計を見て、今は僕がどこにいて何をすべきなのか時間を早回しする必要がある。

この「僕だけがいない街」に足を踏み入れると、ちょっとした非日常を体験できるのでオススメだ(いや、お勧めじゃない)

ハッと我にかえると5時間目が終わってクラスが全員下校した後だったり、部活で先輩に目をつけられて一年生全員がグラウンドをランニングしていたハズなのにいつの間にか独りで夜になっていたり、普通の講義に出ようと酔っ払って大学に行ったら定期試験が行われていたり。

まるで僕だけが神隠しにあったようだ。

ぶっちゃけ会社員になってもこういうことがあったし、もう脳がバグっててしょうがないんだと思う。

もっとヤバいのは魅惑の美女とベッドインしたはずなのにふと気がつくと独りだったり、いや…これはあまりにもトラウマなので精神が安定してから語らせてください。

とにかく、いつ・どこで・誰といたとしても、一旦過集中に入ると時間がタイムリープしちゃうんだ。

うん、「僕だけ神隠し」の方がしっくりくるね

発達障害アルアルで、玄関にランドセルを忘れて登校してしまうというのがある。でも僕の親は不安定かつ厳しかったので、家ではむしろ学校よりも緊張状態にあった。だからランドセル忘れた事はないし、土曜日に登校したこともない。

でも1度家を出ると、親の束縛から解放されて、むしろダラけてしまう。

そこで起こるのが「僕だけ神隠し」だ。

これは幼いながらに自分が普通ではないと痛感させられる体験だし、自意識が発達してからは周りの人達を不快にして自己嫌悪に打ちひしがれることになる。

もう、価値観を共有できるのは同じような境遇にさいなまれている発達障害の人たちだけだと思う。

だからこの記事を読んで同じような体験をしたことがある方がいらっしゃいましたら、ぜひともコメントでご自身の体験を語ってください。いくつか興味深い体験をいただけながら、それをもとに「僕だけ神隠し」のまとめ記事を書かせていただきます。