「天涯孤独」っていう言葉がある。これを辞書で調べると「故郷を遠く離れてひとりで暮らすさま」的なことが書いてある。
まさに僕じゃんw
いままで「生涯未婚」と「天涯孤独」ってほとんど同じ意味だと思ってたんだけど間違ってた。天涯孤独はあくまで故郷と離れた独り者っていう意味なんだね。
ちなみにシンガポールで天涯孤独はマジで快適。
そんな孤独が大好きな僕でも、「孤立」は努力して避けている。
「孤立」を辞書で調べると「仲間がなく1人だけで存在すること」みたいに書いてある。人間社会全体から隔絶されてしまっている状態。
自ら望んで社会から干渉されない自由を持つのは贅沢なことだ。でも、他人の助けが必要な時に、適切な相手が得られないのはマズい。
今日はこの話を書こうと思う。
必要なサービスはおカネで解決
とは言え、日常生活で必要な助けと言うのは、もうほとんどお金で解決できるようになっている。
日本に限らずどこの国でも、大都市に限っては。
例えば。
結婚するつもりはないとか、家族みたいな濃い人間関係が苦手と言うと「お前の老後の介護は誰がするんだ」と言われる。これは非常に日本人的な考え方だと思っていたんだけれど、東南アジアや中国でも、家族を介護要員として当てにしている人がとても多い。要は自分の老後について何の準備もしていない。
老々介護と言う言葉があるように、従来、日本では家族が老人の面倒を担ってきた。
気合と根性で。
ところが介護は既に専門知識と技術と体力が必要な、プロフェッショナルがする仕事になっている。家族がそんな役割を担っている日本では、介護疲れ殺人など歪みがどんどん大きくなり、現実的に持続不可能な状態に陥っている。
そんな日本で過酷な介護需要を支えているのは、インドネシア人の介護士さん達だ。
僕の祖母は女性にもかかわらず帝国陸軍に志願して、フィリピンに駐屯していた軍国婆ちゃんである。そんな猛々しい彼女も、今は認知症患い、もう10年以上介護施設にお世話になっている。
太平洋戦争を戦った女性の老後を、インドネシア女性が面倒を見ていると言うのは皮肉な光景である。
こんな風に最早「生きる上で必要な助け」は、いくら愛する人であっても、素人が気合と根性で満たせるものではなくなっている。だから、こんな僕が老後の心配をするならば、やるべき事はサービスを提供してくれるプロフェッショナルに満足な給料を払えるように、充分なお金を貯めることだ。
医療や老後の住処の心配も同じで、実務的な事はお金で解決するしかない。
おカネで解決出来ないことを満たす人間関係
僕は引きこもって黙々と手を動かしているのが好きだ。文章書いたり、お絵かきしたり、編み物や手芸に勤しんだりね。
でも、こんな内向的な僕でも、1週間に1回くらいは誰かに会いたいと思う。特別何がしたいわけではない。ご飯食べたり一緒に酒でも飲めればそれでいい。
そんなわけで趣味が合う人たちの集まりには、積極的に顔出すようにしている。毎週テニスをしている人たちや、共通の趣味で繋がったコミュニティは居心地がいい。
彼らが親友である必要はない。
僕のように他人との距離感をつかむのが苦手な人間にとって、親友になれる人は1000人に1人ぐらいしかいない。親友になれなくても、その瞬間に特定の趣味を介して幸福な時間を見出せる人たちに、僕はとても救われている。
シェアハウスのススメ
こんな複雑な悩みを一挙に解決するのがシェアハウスだ。
趣味がない人でも問題は無い。シェアハウスに住めば良い。無条件に同じ屋根の下に暮らしているという共通点ができる。
日々生活していれば、シェアハウス内や地域社会でいろいろなことが起こる。そういったささいなことで会話も弾む。
シェアハウスが素晴らしいのは、そんな社会的機能を担保してくれるにもかかわらず、それでいて家賃が安いところだ。
シェアハウスに住んで最低限の人間関係を確保しつつ、老後必要になったときに適切なサービスを受けられるようなお金を貯めると言うのは、21世紀の現実的で賢い生き方だと思う。