コンビニで仕事デキない人がレジをやっていると安心する話

昨日は飛行機を撮りに久しぶりにチャンギビーチに行ってきた。

延伸工事が完了した地下鉄青線に乗ってみたかったっていうのもある。それで冷たいビールを買いに駅のコンビニに寄ったら、痛々しいほどおぼつかないレジのおっさんがいた。

あぁ。

シンガポールは格差社会なので、人種と身だしなみで教育レベルや階層がなんとなくわかる。このおっさんはちゃんといい学校出て、いい仕事に就いていたと思われる風貌だった。

中華圏でも例えば香港や台湾だと、ランニングシャツにビーサンのだらしな気なおっさんが、実は大企業の役員でレクサスに乗っていたりする。ところがシンガポールはそこら辺が中華圏では特殊で、あからさまに金持ちっぽく振る舞いたい金持ちが多い。

そんな背景から、このおっさんは何かやらかしてコンビニバイトに堕ちたのだと一目でわかる。

それにしても…フラリと立ち寄っただけなのに彼の仕事のデキなさが伝わってくる。

誤発注やらかしたっぽく、缶コーヒーがレジ脇に山積み。お客さん全員におどおど勧めているけど、ヌルい缶コーヒーなど誰も買わない。そもそもバーコードのスキャンがおぼつかない。最後は袋詰めに失敗して全部を派手にぶっ倒し、めでたく僕のビールはあとで爆発する運命を背負った。

日本だったらキレる客が発生する案件だ。でも僕はなんだかおっさんに同情してしまって、複雑な思いで店を出た。

今日はこの複雑な思いについて書こうと思う。

マルチタスクが出来ない

僕はおっさんと同じくコンビニバイトがデキない。

もしコンビニで働けるなら、そのスキルは日本中どこでも応用が利く。しかも人手不足の昨今、職を得るのにもあまり苦労しないのではないか。僕は寒いのが苦手だから、夏は北海道、冬は沖縄みたいな暮らしもできる。

難なくコンビニを廻せるのは、僕からすれば日本最強のセーフティネットとさえ思う。

ところが僕はマルチタスクが出来ない。レジ打ちしながらお弁当温めたなら、お釣り間違えるか、お弁当の存在を忘れるかどっちかだ。

こんな僕でも接客バイトをしたことがある。レジ打ちが不正確かつ袋詰めが下手すぎて、程なく品出し担当になっちゃったけどね。

袋詰めって難しくて、重いものは下にとか、商品のサイズで袋を分けたり、考慮すべきことが多すぎる。たまに帰国してコンビニに行って「唐揚げまだ暖かいのでおにぎりと別に袋にお入れしますね!」とか言われた日には、その心遣いに卒倒するぐらい驚く。僕の脳をどれだけ振っても、商品の温度差を考えるような気配りは出てこない。

マニュアル通り作業ができない

人の気持ちを推し量ることができないASD(自閉症スペクトラム)っぽい主人公が、コンビニのマニュアルを与えられたことで社会と関われるようになる「コンビニ人間」という小説がある。

僕が人の気持ちを推し量れているのかは謎だけど、それ以上に与えられたマニュアル通りに作業するのが苦手。

「コンビニ人間」とは真逆だ。

自分が効率がいいと思うやり方や、一度上手くいった順番にこだわってしまい、これが崩れると途方もないストレスになる。それがミスを許されない仕事ととなると、軽くパニックになってその場にフリーズしてしまうことも。

そんなわけで僕はコンビニバイトがデキない。

マルチタスクができなかったりマニュアルに沿って作業できないと、就ける仕事はかなり限られてくる。

正直将来が不安だ。

だから昨日のレジのおっさんのように、コンビニでおぼつかない対応をされると、僕もこの程度ならできるのではないかと根拠なく安心する。

日本人はみんな異様に仕事がデキる

僕は日本で2週間も過ごすと、ユルい東南アジアに逃亡したくなる。1ヵ月も暮らせばもう限界だ。だんだん抑うつ症状が出てきて夜眠れなくなる。

それもこれも、日本のサービスが完璧すぎるからだ。

コンビニで250円のビールを買うだけで盛大に感謝されたり、電車が3分遅れたことを車掌さんが謝罪したり、過敏性大腸炎でトイレに駆け込めば掃除のおばちゃんに会釈されたりする。

僕にはそんな過剰な接客が息苦しい。日本人はみんな異様に仕事がデキるように感じて、僕が役立てる場所が社会のどこにもないと言う疎外感が募る。

レジ打ちなんてスマホゲームの片手間にやってくれればいいし、電車はそのうち来ればいいし、トイレなんてウンコする場所なんだから少々汚らしいのがちょうどいい。

そんなわけで、ユルい対応をされると安心してしまう僕なのである。これからもユルい人たちが生ぬるい仕事をしているグダグダな海外で、溶けるように暮らしたい。