ウツで退職して失った「働く自信」はアルバイトで好きなことして回復した

東京でサラリーマンをやっていれば、人身事故で電車が止まるなんて日常茶飯事だ。

もちろん不慮の事故も多いのだろうけど、僕らは人身事故と聞けば自殺者が線路に飛び込んだのだと理解する。

こんな非日常が日常になっている東京は、確実に狂っている。

社会人になって本格的に通勤ラッシュに揉まれるようになった当初、わざわざ月曜の朝イチに電車を止める「非常識」な自殺者に憤ったものだ。これで会社に遅れ、ミーティングの準備ができなくなる。プレゼンで失敗したらどうしてくれる。こんな感じ。

ところがある日の朝。

「飛び込んだ人はちゃんと遂げられたのだろうか」

いつもの憤りの代わりに、ふと、そんな心配と同情が混じったような感情が湧いてきて、自分の感覚に違和感を覚えた。

この時すでに「うつ病」という診断が出ていたにも関わらず、僕は自分がウツだと認めていなかった。そしてその病院もヤブ医者と決めつけ、一回きりで通わなかった。過敏性大腸炎やら不眠症やら、けっこう大変なことになっていたのにね。

でもこの朝をキッカケに、本格的にヤバいんじゃないかと自覚した。

二度と働ける自信がない

それから退職するまで、実に3年もかかった。

「普通」から転落する恐怖が僕を縛り付け、まさに月曜朝イチに世間様に迷惑かける寸前まで、正社員の仕事にしがみついた。

それで退職後。

フィリピン・セブ島でビール飲んでたらウツ病が劇的に回復した話

フィリピンでグダグダしていたら、それまで綺麗事だと思っていた「ただ生きているだけで素晴らしいんだ」という感覚を取り戻すまでに回復した。

ところがその後いくらアジアを彷徨っても、アメリカの砂漠をオープンカーで爆走しても、また労働者として社会復帰しようという自信が湧いてこない。

無理矢理やらされた仕事に挫折したなら言い訳もできるだろう。でも僕の場合はプログラミングが好きで、学生時代から独学で技術を身につけて手にした正社員の地位だった。

自分の能力は社会が求めるレベルに達していない。

この劣等感と敗北感は、トゲとなって心に深く突き刺さった。

アベノミクスに乗っかってFXの稼ぎは多少あったものの、雀の涙の貯金など遠からず尽きる。まるで胸に時限爆弾を抱えている感覚だ。預金通帳の残高がそのカウントダウン。

このままではマズい。

世界各地のオフィス街でビール片手に高層ビルの窓を見上げながら、自分の人材価値が日に日に目減りしていくのを感じていた。

自由と束縛を隔てる窓

転機

そんなある日、上海の裏路地でウンコ座りしながらビールを飲んでいたら、シンガポール女子からチャットが来た。

彼女とはアメリカの砂漠をオープンカーで爆走した仲。時速100マイルを時速100キロと勘違いして速度超過したり、右側通行に慣れずアメリカの幹線道路で逆走カマしたり、なかなかの「やらかしちゃん」なわけだけど、彼女は結果的に僕の恩人となった。

彼女の経営するホステルが人手不足なので、ビール片手に働いていいから今すぐシンガポールへ来いという。

コレだ。

労働力として社会から必要とされる感覚。長らく失っていた喜びがようやく戻ってきた。

勢い良くビールを飲み干して、僕はシンガポールに飛んだ。

外野は無視

まぁ現実っていうのはそうトントン拍子には進まない。

やらかしシンガポール女子がくれた仕事は、時給400円、ビザサポートなし、同僚はキレると手をつけられなくなる彼女の実兄のみという、まぁ人手不足なのもうなずける労働条件であった。

またしてもやらかしてくれたもんだ。でも僕はビールさえ飲めれば大抵ハッピーなので、この仕事をうけることにした。

時給400円でもホステルに寝泊まりすれば生活費はビール代しかかからない。最終的にこれも濃縮還元のぶどうジュースから自家醸造することでゼロにした。

企業のスポンサーが要らないワーホリビザを自力で取得し、シンガポール名物ムチ打ち刑も回避。

暴れん坊の実兄も実は弱気で、体格が優る相手にはキレないということがわかり、これも問題ない。

それでも外野からはいろいろ言われたものだ。

そんな最低賃金みたいな仕事はやるべきじゃない。
エンジニアとしてのキャリアをアルバイトで汚すのはもったいない。
将来どうするつもりなのか。

この様な無駄な連中は全部無視した。

アルバイトという軟着陸

結果的にこの判断は正しかった。

長らくアジアを放浪していたので、まさにお客の立場でバックパッカーが何をすれば喜ぶのがよくわかった。旅好きを活かせるまさに適職。

ホステルでお客さんに感謝されたり、給料を貰う体験を積み重ねて、僕は徐々に労働者としての自信を取り戻せた。

シンガポールで就職活動するダラリーマンが現地で知っておくべきお役立ちノウハウ

その後、紆余曲折を経て、現在はシンガポールの米系企業で正社員をしている。給料も日本でもらっていた額を超えた。あのまま上海でウジウジ貯金を食いつぶし、自信が無いままに正社員に応募していたら、また程なく潰れただろう。

アルバイトに軟着陸して、情熱を感じられることで社会復帰できたことは、僕にとってこれ以上無いほどの幸運だった。