創作意欲が津波のように押し寄せて、あとには瓦礫の山が残る

何を隠そう僕の趣味は編み物である。

編みぐるみからセーターまで編めるし、僕の歴代彼女たちは記念日に手作りマフラーをプレゼントされてきた。編み込みの入ったガチなやつだ。

正直今思うと迷惑だったかもしれないw

音楽に楽譜があるように、編み物にも編み図という設計図みたいなのがある。ところが僕は決められたルールに従うのが死ぬほど苦手なので、そもそも編み図が読めない。

作るのは全て完全オリジナル。

半年に1回くらい、突然創作意欲が津波のように押し寄せる。

シンガポールで毛糸をたくさん在庫してくれているのは、ドビー・ゴートにあるスポットライトというお店だ。だから創作意欲の津波が来たら、一目散に地下鉄紫線に飛び乗って、プラシンことプラザ・シンガプラに向かう。プラシンは個性的なお店がたくさん入っているショッピング・モールだ。

一目散に毛糸を買いに行くには理由がある。

この創作意欲、押し寄せるのも津波のようだけど、引くときもあっという間なのだ。もう、長くて12時間くらい。サササーーーっと引き始めたら最後、ものの1時間に全ての情熱が消える。

どんな大作でも完成しなければただの毛玉だ。だから後でぐったり疲れ果てるリスクを負ってでも、過集中を駆使して猛烈な勢いで作り上げる。

しかし…実際に物事はそんなに上手くいかず、僕の部屋には編みかけの毛玉たちや、作りかけのペーパークラフトや針金細工、最後まで弾けないピアノの楽譜などが地層を形成してホコリを被っている。

まさに津波の後の瓦礫の山。

情熱が去った後だと作りかけの作品は無価値なゴミにしか見えない。まるで文化祭が明けた片付け日みたいな心境。2017年はパステル画、ピアノ、ボクシングにも手を出したんだけど、このままモノにならずに床の地層になるのだろうな。。。

そんなわけで飽きっぽい僕がブログを毎日更新するためには、情熱が続くうちに短時間で完成させることがカギだ。

今日も朝からマレー系ババアと仕事のことで揉め、対人関係エネルギーが枯渇した上に、英語で戦って脳のリソースもゼロを振り切ってマイナス。

出社1時間目にして生きる屍と化した。

今日はブログを書けないかもしれないなと思ったんだけど、さっき非常階段で昼寝したらビックリ回復してこの記事を書くことにした。

読者の方にも創作意欲の津波が来る人はいらっしゃいますか?波がひいたあとの瓦礫の山について語り合いましょう。