精神年齢が幼すぎて人生のフェーズを進めない悲哀

シンガポールでは子供用のプールや公園の遊具が、夜中まで煌々と照らされる。

最初は防犯とかオブジェみたいな意味があるのかと思ったんだけど、実際日付が変わる頃まで親が幼稚園児を遊ばせてるから驚く。

共働きが当たり前で、なおかつ女性が出産後にキャリアを諦めるという概念がないシンガポール。

ただ、ライフワークバランスという意味ではシンガポールも仕事に偏ってしまい、家庭が疎かになりがちという指摘がある。両親とも仕事に追われ、子供と過ごす時間が減った結果、育ての親であるメイドさんの方が子供から信頼されている家庭も。

だから残業こなして家に帰ってきた親が、メイドさんから子供をバトンタッチして、貴重な親子の時間を過ごしているのかな。煌々と明るい深夜の公園を見る度、そんなことを思う。

ま、ぶっちゃけ子供そっちのけで親はスマホに夢中なんだけどね(=^・・^;=)

僕も遊具で遊びたい!

夜遅くまで照らされる公園の遊具を見ると、僕は33歳にもかかわらず、遊びたい衝動を抑えるのに苦労する。特にパイプやダクトが使われた遊具。ウズウズする。

やっぱり前世はネコだったんだと思う(=^・・^=)!

狭い場所や細長いパイプが好き。「ドラえもん」の空き地の土管。あんなところに秘密基地を作りたい派。

でもそのような場所は近代社会で子供用の遊具ぐらいにしかなく、しかもシンガポールの遊具には「6歳から12歳までのお子様が保護者の監視下で遊ぶように設計されています」などとご丁寧に注意書きが付いている。

大人も遊べるよう、ちゃんと頑丈に設計しといてほしい。

ツリーハウスとかワクワクする

これでもなんちゃって東京の高校生だったので、ディズニーデートぐらいは経験がある。残念ながら私服の高校だったので、リア充の至宝「制服ディズニーデート」は未経験であるが。。。

さて、そんな初々しいデートである。

僕はウェスタンランドにあるツリーハウスを楽しみにしていた。マークトウェイン号乗り場の辺りからイカダが出ていて、中洲の島に渡れる。ここにはハックルベリー・フィンのツリーハウスがあるのだ。

水に囲まれた孤島の、ツリーハウス。男子たるものワクワクしないはずがない。一度はこんな秘密基地をこしらえて、親に隠れてあんなことやこんなことをやってみたい。

高校生の僕はこのワクワク感を普通に持っていた。っていうか今も持っている。

それでビッグサンダーマウンテンが終わり、いよいよウェスタンランド。僕は自然にそっちに足を向け、それとなく島に渡ろうと提案した。ところが相方女子様は「あれ子供用じゃない?」と一蹴。敢え無くウェスタンランドを素通りし、スプラッシュマウンテンに直行することに。

わかってない。

誠に女子というのはつまらんもんだと絶望した。

運動会は子供目線

もう33歳なので、20代前半で結婚した友達には小学生になるご子息がいらっしゃる。

そんな若手パパと飲みに行くと、ご子息の学校の話題になる。僕、学校も子供も嫌いなんだけどね(=^・・^;=)

それで、運動会で綱引きに挑む息子を見て、その勇姿に感動したと言う話を聞いた。

ところがそこで思うのは、こんな感じ。

あーしばらく綱引きとかしてないなぁ。俺も久しぶりに綱引きしてみたい。いまの体力なら余裕だろう。しかも玉入れとかテニスで鍛えてるしコントロールは最高のはず。。。

などと、あくまでも子供目線で自分が競技する前提なのだ。

そんなわけで、子供の成長を喜ぶ的な、親としての視点を未だによく理解できない。運動会に関しては、ビールが飲めない炎天下で、1日中ビデオ構えてガキがチョロチョロしてるの見るなど発狂しそうだ。

僕は大人になれるのか

この精神年齢の幼さを発達障害のせいにしていいのかはわからない。

でもよく、発達障害は発達が遅いだけで確実に成長していて、その場合は2/3のスピードとか、年齢の7割とか言われる。

年齢の7割というと、23歳か。それって例の若手パパが結婚して子供が産まれた歳じゃないか(=^・・^=)!

うーむ。

精神年齢を追い抜かれていく気楽さ

僕はこんな感じなんで、結婚して子供つくるとか意味がわからない。

でも最近思うのは、結婚して子供がいないと、人生のフェーズがこのままの状態で一生続くということ。

僕は今の状態が気楽で好きなんだけど、人生のフェーズを先に進めた友達と、話題がどんどんズレていくのを感じる。例えば子供の成長を喜ぶ友人の感情に、寄り添い一緒に祝福する方法がわからなくなりつつある。

「家族がみんな健康なんだね、よかった!」くらいの浅はかな共感しかできない自分に嫌悪感を抱くことも。

いつか僕も大人になるのだろうか。

最近、自分の精神年齢の幼さに困惑している。