夕日が美しい台湾南部の田舎町で迷子になって大家族っていいなと思った話

バックパッカーが放浪を終えた後にハマるのが旅友巡礼ってやつ。

僕のように沈没型の旅人の場合、ひとつの街の同じ宿に1ヶ月とかグダグダ暇そうにしているので、そりゃ顔見知りもできる。

そんな時はFacebookで友達になっておくと、お互い旅を終えた後も関係がユルく続く。友達100人なんてすぐできるし、当時はFacebookの全盛期だったこともあり、僕は大いにハマったものだ。

そして、ふと暇ができた折、そんな気の合う人たちの祖国を尋ね歩くのだ。

台湾南端の街

そんなわけで、シンガポールで無事に正社員に返り咲いて最初の休暇は、台湾南部の屏東県で過ごすことにした。ここにはシンガポールでアルバイト時代に仲良くなった台湾女子、エイプリルが住んでいる。

僕より6歳年下の酒豪なんだけど、そこは妹キャラなので甘い酒しか受け付けない。リンゴジュースやオレンジジュースに、免税店で買ってきたウォッカをドバドバ注いで飲んでた姿が印象的だ。

そんなわけでLINEで彼女に連絡すると、ちょうど兄貴の部屋が空いてるから実家に泊まるといいと言う。有り難き幸せ。

チャンギ空港からいったん成田へ飛び、地元で雑用を済ませたあと、和製LCCのピーチで台北へ。そしてこれまた和製の台湾新幹線「高鉄」に乗り換え、終点の高雄まで。何となくシステムそのまま持ってきたのか、駅弁の味もどこか日本ぽかった。高雄から更に地元の高速バスに乗り換え、エイプリルの実家がある屏東郊外の町まで行った。

ここまで来ると英語はほぼ通じないし、地元の人達が話す言葉も華語と呼ばれる標準中国語ではなく、台語という台湾訛りの福建語になる。まぁ首都台北でも台語で話す人が多いけどね。

僕は台語は全くわからないので、情緒のないグローバル化の勢力圏外に脱出したみたいで、無駄にテンションが上がった。

台湾の伝統的な大家族

バス停までエイプリルが迎えにきてくれていた。なんだかシンガポールにいた時は妹キャラの「少女」って感じだったのに、車で田舎の裏路地を少々荒く駆け抜けて行く姿は、姐御という感じ。

これが旅友巡礼の醍醐味だったりする。

外国ではどこか借りてきた猫みたいにおとなしくしてたのに、地元では化けの皮が剥がれてその人の本性を垣間見ることができる。そういえばこの荒い運転と、彼女の酒の飲み方は、どこか通じるものがある。僕は終始助手席でニヤニヤしていた。

彼女の実家は典型的な台湾の大家族であった。ご両親に兄弟が3人。それに加え1族郎党が近所に住んでいて、食事時になると30人ぐらいがスクーターに乗って押し寄せ、一撃で人数が増える。もはや全員に紹介されることもなく、しばらく混ざるのでよろしくお願いしますってな感じになった。

これはちょっとまずい。

大家族に慣れていないのと、発達障害的に大人数が苦手。さらに彼らが語気強くしゃべってる言葉が一切わからない。彼らはみんな台語ネイティブで、華語とのバイリンガル。英語や日本語はカスりもしない。台湾は日本語が通じるから良いなどと言うけど、あれは都市伝説だ。

30人以上で食事なので、夜はみんなで烤肉というバーベキューになる。エイプリルは小柄な細身なんだけれど、ちょっと信じられない量を食べる。彼女のみならず台湾の女性はほんとによく食べる。

胃腸が弱くて食が細い僕は、エイプリルの従姉妹に当たる中学生の女の子ほどにも量が食べられず、その上めっちゃ食べろ食べろ食え食えの嵐で、なんとなく気まずくなってしまった。

エイプリル一族は、騒ついた所では大陸中国の東北人っぽい話し方をする。RやZH音で舌こそ巻かないものの、語気が強く太い声で早口に喋る。これで言葉が通じないものだから、僕はなんだか批判されているような印象を受けてしまった。もちろん、僕の勝手な被害妄想なんだけど、大人数で僕はいつもこうなっちゃう。

うぅー、大家族、苦手すぎる。。。

対人関係エネルギーが枯渇したのと極度の胃もたれで、うわーーってなった僕は、しばらく近所を散歩することにした。

美しい夕日の異世界

ってか、まだ17時だ。

おそらくみんな自営業のため、16時には仕事を切り上げて一族の本家であるエイプリルの家に集まってくるんだな。

そんなわけでテクテク歩き始めたんだけど、15分もしないうちに方向感覚を失った。僕は断じて方向音痴ではない。それでも、ここまでランドマークになる建物がない田舎だと、前後不覚に陥る。

ちょうど太陽が沈んだ頃合いで、それでも上空はまだ日が出ているらしく、遠くで白銀に輝く入道雲が眩しい。あたりは薄暗いのにまだ星も月も出ていない。背の高いヤシのシルエットが、薄暗がりの藍色の空に美しい。

エイプリル家にいたときは気づかなかったけど、この辺りは酪農地帯のようだ。あちこちからウモォォウモォォと聞こえるし、時折牛舎特有の臭いが鼻をつく。それでも暗がりで牛の姿は見えない。

不思議な場所だ。

日本では昼と夜の境目に、邪悪な魔物が街をうろつくと言われる。まさに今がそんな「逢魔時」と呼ばれる時間じゃなかろうか。でも実は、完全に余所者である僕こそが、ここでは魔物扱いだったりして。

そんなことを考えていたらヤバいことに気付いた。スマホの電池が残りわずかだったのだ。もはや道に迷ってからかなり歩いた。エイプリルに助けを求める必要がある。

ところが何度コールしても彼女は出ない。わかる。酒を飲み始めたんだな。むむむ。

仕方ない。

僕は周りの風景を写真で送って、迷ったので迎えにきて欲しい旨をメッセージしておいた。とはいえ暗いし本当に居場所を表すような人工物が少ない。GPSで現在地を送って、彼女の電話番号を暗記した。迷子が長引くようなら、どこかで電話を借りるしかないな。

やれることは全部やったところでスマホの電池が切れた。

やれやれ、しゃーない。

そう思ってスマホから顔を上げると、あたりが一瞬にして燃えるような夕焼けになっていた。おそらく太陽を覆っていた雲が退いたんだ。先までの薄暗がりが一面夕日に照らされて、藍色のシルエットがオレンジ色になった。

なんて美しいんだ。

エイプリルに現在地を送った後だけど、僕はもうしばらくこの美しい異世界を探検することにした。

檳榔店のおねぇさん

などと思った1時間前の自分をぶん殴りたい。夕日などモノの15分でフェードアウトして、漆黒の闇が降りてきた。マジで真っ暗。周りになんもない。

完全に夜になる前に電話を探そうと太めの通りを歩き回ったものの、当然公衆電話などない。

さらに悪いことに、暗がりで言葉が通じない「魔物」は警戒される。歩行者が皆無なので、たまーに存在する民家に突撃して、鉄格子の門越しに「道に迷って友達に電話したい」と頼むも、明らかに警戒されてシッシッって追い払われる。

我迷路了。我想打電話朋友。

もっと気の利いた助けの求め方があるのだろうけど、僕の語学力じゃこれが限度だ。

日本のコンビニがあればいいのに。緊急事態にコンビニは最強だ。必ず人がいて、食べ物もある。頼めば電話だって貸してくれるだろう。

異国で道に迷って日本のコンビニに恋焦がれる自分を嘲笑していると、なんとそれっぽい蛍光灯の明かりが遠くに見えてきた。砂漠で行き倒れるとオアシスの蜃気楼を見ると言うけど、これが…。

青白い光を目指して早足で歩いて行くと、それは檳榔店だった。

ビンロウというのは小さい木の実で、インドを始め南国アジアでは広く一般的な嗜好品だ。実を噛み潰して赤黒い汁を口に含むと、酒とタバコを合わせたような感覚を得られる。なお、しばらく楽しんだら飲み込まず道に吐き捨てるので、シンガポールでは禁止されている。

台湾のビンロウ店というと、幹線道路沿いで下着姿の女性がトラックの運ちゃんを相手している印象。でもここは田舎だからか、デニムのショートパンツにTシャツという、ごく普通の女の子が1人ポツンとケータイでドラマを見ているだけだった。

彼女が最後の望み。この娘に警戒されてしまったら、今夜は野宿を覚悟するしかない。

我迷路了。我想打電話朋友!

真嗎?你從哪裡來?

おお、相手してくれる!拙い僕の華語が通じる!!

IKUと申します。日本人の旅行者です。台湾友人とはぐれた。あなたの電話を使いたい。これが電話番号。

彼女は半信半疑だったけど、すぐにドラマを止めてサムスンのスマホを貸してくれた。しかも、ここの住所がわからないというと、代わりに説明してくれるという。ありがとう!

暗記した番号を押すとワンコールで出て、酔ってて着信気付かなかった!とエイプリルの焦った声がした。

やっぱり。

スクーターで迎えに来てくれるという。酔ったんじゃないの?スクーターなら大丈夫、ってマジかよ。

助かった。

恩人の彼女は中国福建省から檳榔売りのアルバイトに来ているらしい。僕もシンガポールで出稼ぎしてるんだというと、日本人も出稼ぎするのかと、彼女は歯並びの良い顔を崩してケタケタ笑った。

ただそこにいて、いいのか。

この「いくさん迷子事件」をキッカケに、エイプリルの大家族と打ち解けることができた。

正確に言うなら、皆に認知された。今までは「なんか見慣れないヤツが混じってるな」くらいなもので、誰かの新しい彼氏かなんかだと思ってたらしい。

僕は自分の家族でさえ苦手で、高校を卒業して以来ずっと独り暮らしをしている。

幼少の頃から不届きな行いをすると「ウチの子じゃない」と言われてきた。学校の成績が悪いと「もう養わない」と言われてきた。そんな環境で育ってきたからか、家族とは僕が彼らの望む正しい行いをしている限り、その対価として食い扶持を提供してくれる、残忍な存在だ。

でもエイプリルの実家は違った。

とにかく人数が多い。いつも親族の誰かしらが出入りしていて、そこに言葉も通じない外国人の僕が1人混ざっても誰も気にさえしない。どうせみんなで食べるんだから、人数が多い方が楽しい。ここに居たいなら、ずっといて良い。多少のご飯くらいで何の対価も求めない。気にするな。

台湾でお世話になった伝統的な大家族は、そのような抱擁力に満ち溢れていた。

ただ、そこにいて良い。生きてて良い。

僅か1週間ばかりお世話になった台湾で、僕は本来あるべき家族の暖かさと、人間の温もりを教わった。あれから3年経った今でも、人間社会でやさぐれた時に癒しを求めるのは、温かい台湾の人たちだ。