社会人1年目の僕は、灰色い東京で早くも閉塞感に絡め取られていた。その後数年のうちに、この閉塞感は絶望に変わり、最終形態のうつ病になってゆく。
でも常に僕の心には救いの光が一筋降り注いでいた。
いつか海外に脱出してやる…
こんなクソな状況は日本くらいなものだ。海外に行けばバラ色の人生が待っている。海外に出たい。海外に行けさえすれば…。
当時はまだ英語も皆目喋れなかったし、どこの国とも定かでない「海外」を盲目的に美化していた。
その程度であっても、学生時代にバイト代を貯めてリュックひとつでアジアや欧州、北米を貧乏旅行した体験があって良かった。気楽で楽しかった異国の暮らしぶりは、結果的に僕が命を断つことなく、うつ病から這い上がる大きな原動力になった。
そんなわけで社会人1年目の僕は、新人の分際で5日ぶち抜きで休暇をとり、土日を合わせた9日間で海外に逃亡することで、なんとか精神を保っていた。
オランダ港町の豊かな夜
どこに行こうか迷った時、基準になるのはビールの味。社会人になって旅の予算に余裕が出てきたこともあり、僕はドイツとベネルクス三国をめぐる欧州ビール巡礼に出かけた。機内2泊、実質7日で4カ国の弾丸だ。
ところが旅程最後の国、オランダでビール難民になった。
都市国家ルクセンブルクは金融メインのシンガポール的な場所なので、最初から期待していない。だけどドイツとベルギーの芸術的なビールの後で飲む、ハイネケンの不味いこと。
オランダは農業国なのにビールが不味い。ビールだけじゃなく、なんだかメシもイマイチ。そもそも味の前に、ちゃんと食器の洗い方を知って欲しい。っていうかフランス・ドイツ・ベルギーというアルコール天国に囲まれているにも関わらず、どうしてオランダではこんな茶色い炭酸水がビジネスとして成り立つのか。
この失望感はオビ、ハイト、カスという三大ブランドが全部泡立つションベンで、スーパーで日本製の輸入ビールを探し求めるハメになった韓国旅行を思い出す。韓国のビールは全部クソだ。
そんな深い訳があり、Leffeという絶品ベルギービールを探し求めて、その夜僕はオランダの港町、ロッテルダムを彷徨っていた。
昼間は缶ビール片手にドンキホーテの風車で有名なキンデルダイクという集落を散策したので、そこから酔いつぶれてホステルで爆睡。気付いたら晩飯を食いそびれて、腹ペコで夜の街に繰り出したという訳。
するとホステルから程近い、石畳のいい感じの裏路地で、縁日のようなお祭りが開催されていた。まさに日本の縁日のような簡易テントの屋台が並び、カップルや家族連れで賑わっている。これ幸いと僕も暖かいケバブと、ドイツビールの生を1パイント手に入れた。
人混みが苦手なので晩御飯を持ってライン川から伸びる運河へテクテク移動。ライン川は西欧諸国の物流を担う国際河川。中学校の地理でお馴染みのアレね。
大西洋を渡りユーロポートを経由して、オランダ内陸部へ向かう小さなコンテナ船が、幅の広い運河を行き交う。そんなゆっくりな水辺で護岸に腰を下ろし、肉がドッサリなケバブをほうばり芳醇なドイツビールで空っぽの胃に流し込む。対岸にはダッチデザインの奇抜な高層ビルがライトアップされている。
これだ。
そういう豊かな時間を求めて、僕は遥々東アジアの地獄からやって来たんですよ。グーテンアーベント!!
祭りの後のゴミの山
昨今、ハロウィンや花見の後に残されたゴミの山が日本でも社会問題となっている。日本人のモラルの低下、世界に発信されてみっともない。などなど。
ところが日本人が先進国と崇めてやまない西欧諸国でも、あれが世界標準なので安心してほしい。
ひとしきり酔っ払ってホステルに引き上げる道すがら、例の石畳の裏路地に差し掛かった。もうじき日付が変わる時間。縁日はとっくにお開きになり、辺りは閑散としていた。
そこに散らばるゴミの山。
っていうか、ゴミが層を成して積もっている。店を畳んだ屋台が、食べ残しや余った紙ナプキンを全部路上に打ち捨てたようだ。分別という概念など完膚無きまでに崩壊し、プラスチックの食器やアルミの容器がまさに足の踏み場もなく散らばっている。
街並みが美しいだけにあまりにショックで、僕の中のヨーロッパ像がガラガラ瓦解する音を聴きながら、しばらくその場に立ち尽くした。
すると現れたのが褐色の肌をした屈強な男たち。喋る言葉からトルコ人と思われる。
彼らは慣れた様子で大柄トレーラーから重機を下ろし掃除に取り掛かった。小型のブルドーザーでゴミをガサッとかき集め、回転ブラシが付いたお掃除マシーンで綺麗さっぱり。ものの30分程で石畳の裏路地はもとの静けさを取り戻した。
トルコ人の無駄のない動きがあまりに見事で、彼らのお掃除に思わず最後まで見届けた。
オランダ人は敬虔なカトリックだから街が美しいと思ったら大間違い。それから帰国までの短い間、オランダの街並みを清潔で美しく保つ、褐色の移民の仕事が目についてしょうがなかった。
まるでハリボテの奥を覗いてしまい、真実を覆い隠す魔法が解けた感じ。
街も駅も空港も、彼らがゴミのカートを押して日夜働いているから綺麗なんだ。そしてコーカソイドのオランダ人がゴミを片付ける姿は、結局最後まで見られなかった。
日本社会に蔓延る現代の身分制度
この欧州ビール巡礼以降、僕の労働観が変わった。
日本社会も同じような経済身分制度で成り立っていることに気付いてしまったのだ。漠然と感じていた閉塞感は絶望に変わり、たまの国外脱出では誤魔化せないレベルに悪化した。
今でこそ外国人実習生の人権が問題視されている。過酷な日本で介護士や看護師として働くフィリピンやインドネシアの女性たちもそうだ。
ところが外国人はもとより、日本人の間でさえ雇用形態の違いにより公然と違法な差別が横行している。その階級構造を構成しているのが、多重下請け構造だ。
当時、僕は小学生でも知ってる国家プロジェクトに、エンジニアとして関わっていた。
数兆円の国家予算が投じられた、お上肝いりの国際事業。そんな仕事でさえ、労働基準法が皆目遵守されていない。マジで日本の労働環境はゴミクソレベル。
僕は2次受けの経済奴隷としてその場にいた。元締めである国の出先機関から、請負契約で払い出された仕事だ。ところがその実、派遣契約として指揮系統が組まれていた。請負契約では、自社の直属上司を通じて業務指示がなされるべきなのに、元請けの人間が直接僕の上司のように振舞っていた。
多重下請け構造の下位に落ちるほど、労働基準法は形骸化する。例え国の事業であっても。更に恐ろしいのは、三次受けの弊社の下に、3次受け、4次受けが存在したことだ。
鬼畜。人で無し。醜いにも程がある。
度重なるピンハネで、元請けと僕の給料には2倍の差がある。さらに下にいったら、一体どういう地獄なのか。
日本で働いたら不幸になる。当時はそう確信していた。
シンガポールは人種差別をハック済み
ところが、シンガポールに移住した現在も、一旦解けた魔法は蘇らない。
清潔で美しいこの都市国家を支えているのは、ピンハネされた微々たる給料で働く褐色の肌の移民たちだ。もう、このブログを書いているiPad、住んでいる家、お昼に食べた野菜に至るまで、このピンハネ構造、奴隷労働無くしてはこの世に存在しない。
そうした搾取構造で生きている僕が、いくらここで僕が騒いだところで偽善でしかない。
醜いのは、日本の外国人実習生よろしく、そうした経済階級制度が往々にして人種と結びついている点だ。
日曜日になるとシンガポールでは、肉体労働者としてやって来たインドやバングラデシュの南アジア男性と、メイドや介護士としてやってきたフィリピン・インドネシア・ミャンマーの女性が仲良くデートしたり木陰でピクニックしている姿を見る。
逆に言えば、フィリピン男性とインド女性が極端に少ない。
特定の人種の特定の性別を選り好みすることは、現代の経済システムで公然と横行する人種差別だ。
こうした人種に結びつけた経済差別を、日本はまだハック出来ていない。シンガポールのように強固なオブラートに包み、労働者排出国の倫理も包含したカタチで上手く法制度が完了した時「作られた格差」は社会基盤となり、無意識に全員がそこに組み入れられることになる。
勤労はクソである
世界中で既成概念になった差別的な労働階級で、自分がどこに所属するのかということだ。現代のカースト制とも言えるこの複雑なこの経済ピラミッドには、歴然と一本の太い境界線がある。
雇われるか、雇うか、だ。
日々の食い扶持のためにする仕事と、食い扶持を求める人から労働力を搾取する行為。この絶対的なラインを自分の中で可視化した時、その線が今日生活する社会のどこに敷かれているのか見えた時、僕の人生観が変わった。
漫然と生きていると、日夜巧妙になっていく搾取構造に取り込まれ、ジワジワ自由を奪われる。
産まれて瞬間から洗脳され続けてきた経済差別の魔法を解き、今こそ自由になろう。