サラリーマンに向き不向きがあるように、実は無職にも適性がある。
減っていく預金額ばかり気にして目の前の自由に罪悪感を感じるようなタイプは、多少大変でも何かしら仕事してた方が精神が安定することもある。
でも、恐怖心に意思決定権を奪われて自分に合わない仕事からいつまでも退却出来ずにいると、ズルズルとメンヘラ沼にハマっていく…。
そんなわけで僕はウツで会社を辞めた。それで旅を始めた当初は、喰うに困らないカネと今まで経験したことがない自由に興奮した。
終わらない夏休み!お小遣い付き!
ところが半年もすればそのような非日常もいつしか日常に絡め取られ、次第に不安にかられる時間が増えた。
夢破れたこの人生。これからどうやって立て直していけば良いのだろうか。1年後の自分はどうやって生計を立てているのだろうか。貯金はおそらくあと2年で尽きる。その瞬間を迎えるまでに、今何をすべきなのか…。
答えの出ない不安がグルグル頭を支配して、気分が沈んでいく。
しかも「勝ち組の街」サンフランシスコに来たのが追い打ちをかけた。
霧の街
ITエンジニアなら1度は憧れるスタートアップの聖地、シリコンバレー。
定番のGoogleやAppleの本社を巡礼しても、こんなキラキラカンパニーではもう一生働けないんだと疎外感に打ちひしがれるだけ。
っていうかサンフランシスコは夏でも寒い。
3日前にロサンゼルスのチャイナタウンからスパニッシュ・バスで砂漠を駆け抜け、僕はサンフランシスコにやってきた。
もうバスを降りた瞬間からその寒さにビックリ。
どうやら沖合を流れるカルフォルニア海流という寒流のせいらしい。確かに夏なのに泳いでいる人は1人もいない。高緯度なのに温暖なヨーロッパとは真逆の現象が起きているんだな。
ゴールデン・ゲート・ブリッジを散歩していると、海沿いにオンタデやコバイケイソウと思われる、日本の北アルプスでもお馴染みの高山植物が見られた。
ロサンゼルスは抜けるような青空と背の高いヤシの木が印象的だったのに、そこからものの4時間バスに乗っただけでこんなに気候が変わるものだろうか。
霧の街とは良く言ったもんで、僕が到着してから霞が晴れることはない。見方によってはロマンチックなのかもしれないけど、酔っぱらいのオッサンがビール飲む街に別にロマンチック要素は必要ない。
マズい。
寒さはメンタルに良くない。これはネガティブなことしか思いつかないループに入っているぞ。
気分を立て直すために、僕はいったんホステルに戻ることにした。
チリから来た自由人サンティアゴ
サンフランシスコは家賃が高額だからか、僕が泊まったドミトリーには二段ベッドがものすごい密度で詰め込まれている。日本の家をウサギ小屋と揶揄したのはどこの国だったか。
あの部屋に帰ると余計鬱屈しそうなので、この時間は誰もいないだろうカフェテリアに足が向いた。
すると昼間から酔っぱらってるのは僕だけじゃなかった。
彼はサンティアゴという名前で、同じドミトリーに泊まっているチリ人だ。南米の人はどこか年齢不詳なところがあるけど、おそらく僕とそう歳は違わない。でも彼の場合は髪が薄いためちょっと老けて見える。
サンティアゴってチリの首都じゃん!じゃあ日本から来た僕はTOKYOって呼んでくれ!
そんなトボけた自己紹介で話すようになったのが2日前。
サンティアゴは物静かな性格で、ビールを飲んでも騒がず、有意義に語れるので気が合った。カフェテリアで彼に会えたのは有り難い。僕はビールを一本奢って、将来の展望が見えずに落ち込んでいると彼に打ち明けた。
「それならウチの銅鉱山で働けばいいじゃん」
予想の斜め上をいくアドバイス(=^・・^=)!
「月給3000ドルは出ると思うよ」
どういうことだ。確かにチリは銅鋼の輸出で有名だと高校で習った。それにしても家の庭からザクザク湧くわけじゃなかろうに。。。
話を聞くと、親戚筋が銅の鉱山を所有しており、彼もその掘削会社に役員として勤めているらしい。
でたー。
南米って途上国が多い印象だけど、貧富の格差が凄まじく、金持ちは度肝を抜かれるほど金持ちだ。彼の物腰柔らかな性格は、その経済的余裕から来るのかもしれない。
彼は現在3ヶ月のバケーション中。このあとカナダに移動して、来月はヨーロッパに飛ぶという。っていうか3ヶ月仕事しなくて会社が廻るなら、もうずっとバケーションでいいのでは。羨ましいぜ!
「ダンプの運転手が崖下に落っこちちゃって、代わりを探しているんだ」
なんですと(=^・・^=)!?
彼の鉱山はひたすら地面を真下に掘っていく「露天掘り」らしく、巨大な穴から、同じく巨大なダンプトラックで銅鉱を運び出す。ところが数十トンの銅鉱を満載した帰り道は運転が難しく、ちょっと気を抜くと自重にハンドルを取られて、深い穴の底に真っ逆さまらしい。
前任者が死亡とは。なんだか事故物件みたいな求人だな笑
独立記念日
「死にたくなったら応募するよ」 「おい、ウチの鉱山を墓穴にするな」などと、グダグダ喋っていたらいつの間にか夕方になった。
「今日はフォース・ジュライだけど誰かと出かけるのか?」
確かに今日は7月4日だけど…?恥かしならが僕はその日がアメリカ独立記念日だったことも、それをフォース・ジュライと呼ぶことも知らなかった。
サンフランシスコは独立記念日の花火で有名で、それ目当ての観光客でホステルがこんなに混んでるんじゃないかと。
フィッシャーマンズ・ワーフという港の方は出店が並んでいい感じらしいので、男二人でビールを飲みに繰り出すことにした。
アメリカは何かとカオスな国だけど、祭りのアメリカは輪をかけてカオスだった。
まずホステルを出て早速フルチン全裸の男性に出くわしたし、性的マイノリティーの聖地だけあってゲイカップルも生き生きしている。古い常識をぶっ壊し、幸せになれる方法で全力で楽しくやってるスゴいエネルギーを放つ人々。もはや赤ら顔の僕らなど目立つ余地すらない。
もしかして僕に足りないのはコレなんじゃないか(=^・・^=)!
将来をウジウジ心配する必要はない。今楽しいことを全力でやるんだ。幸せとはそういうことなんだ。
図らずもフルチンのおっさんから人生を学んでしまった。
赤青白の星条旗みたいな花火を見ながら、僕は気楽に旅を楽しむことにした。