個性を貫きカラフルな場所で暮せば心に刺さった劣等感の棘は抜ける

よく晴れた冬の夕暮れ。

僕はコンビニで熱々の肉まんと日本酒を買い、新宿中央公園に向かってトボトボ歩いていた。歩きながら日本酒のパックを開け、真っ白いため息を弄ぶ。

この時期、世界のどこにも居場所がなかった。

なんで新宿中央公園に向かっているのか自分でもわからない。JRの改札を出た時、ふとあそこなら無条件に僕を受け入れてくれそうな感じがしたんだ。酔っ払ってもトイレがあるしね。

熟れたトマトみたいな冬の弱々しい太陽が、高層ビルの隙間に挟まっている。燃えるような夕焼けに照らされて街はオレンジに染まり、黒々と長く伸びた人々の影が凍てついたコンクリートをユラユラと漂う。

さながらこの世がオレンジと黒に塗り分けられたようだ。

足早なスーツの群れが新宿駅の方向へ通り過ぎる。まだ4時過ぎだから仕事上がりには早い。この時間から客先に出向くのか、新宿を営業して廻った帰りなのか。

何れにせよ、僕はもう彼らと肩を並べて働けない。

ウツでサラリーマンから脱落した劣等感が疼き、胃のあたりに冷たいものを感じる。

歩道の隅には寒空の下、ボロで雪だるまのように着ぶくれしたホームレスたちに目がいく。いつしか彼らの方に親近感が沸くようになった自分に気付いて恐ろしくなる。ネットが使える今のうちにダンボールハウスの作り方を調べた方が良いかもしれない。

他人と比較してもしょうがない。

それはわかっている。

ところが、劣等感の棘が心に突き刺さっていると、ただすれ違っただけの人が自分より上等に見えるんだ。そして無価値な自分に打ち拉がれる。自分に鞭打って働いていた時は苦しかったけど、無職になってもこんな風にジワジワと精神を病み続けるとは思わなかった。

オレンジに染まった新宿中央公園でひとしきり酒をあおり、破滅的な意識にフタをする。アルコールは元気の前借りだ。酔が覚めた時の絶望感と引き換えに、いっときの安らぎを与えてくれる。

翌朝の自分に借金をして、僕は夜行バスで大阪へ向かった。

劣等感の棘

この1年後にはシンガポールで働いているのだから、人生どうなるかわからない。

ところが海外移住した今でも、劣等感の棘は心に突き刺さったまま、たまにチクチク痛む。

シンガポールは世界中から優秀な人材を集めて発展した国だ。流暢に英語を操るのは「当然」だし、若くして日本企業の部長レベルの給料を取っている人も珍しくない。

だから上を見たらキリがなく、他人と比較し始めると程なくメンタルが崩壊する。

さらに格差を意識させるポイントが家だ。

シンガポールではどこに住んでいるかがヒエラルキーに直結している。シンガポール人が家の購入に人生を一点賭けするのも頷ける。僕のように共同トイレのシェアハウスに住んでいると、たまに哀れみの目で見られることも。

劣等感の棘が疼くとき、僕はあのオレンジに染まった新宿中央公園を思い出す。

すれ違ったスーツの群れ。着ぶくれのホームレスたち。

あの夜、僕は夜行バスで大阪へ移動して、翌日からあいりん地区のドヤ街にしばらくお世話になった。最近の新今宮駅周辺は、ドヤがホステルに改装され、日雇い労働者の街からバックパッカーの聖地に様変わりしている。

そこで出会った個性豊かな外国人達に、僕は救われた。人種も国籍も日本にいる理由もバラバラすぎて、もはや誰と何を比べていいのかわからなくなったのだ。

自分自身が凡庸で、均質な人間と一緒にいるとき、比較が成り立つ。

劣等感の棘が疼くなら、自分と比較のしようもない種種雑多な人達がいる場所に逃げ込めばいい。そこで個性を貫き通し、カラフルな人達に囲まれて生きよう。

そうすればいずれ劣等感の棘は抜けるだろう。