30歳になった時に思った。
このままでは何も達成しないまま、何者でもないオッサンになってしまうと。
文字で書けば、うつ病社畜から這い上がり、シンガポールに移住して米系企業で正社員に返り咲いた。なかなかカッコいいだろう。
でもその実「お前は何が出来る人間か」と問われたら、回答に窮して縮こまってしまう。
もちろんその時々で、僕に出来るベストを尽くして来た自信はある。いつだって情熱を感じた対象には全力で取り組み、前に進んで来た。
でも、それで何かのプロになれたかと言われれば、自信がない。手当たり次第、情熱の赴くままに時間と労力を投下して来た代償として、専門分野がない。
全くないかと言われれば、そんなことはない。でもその分野の第一人者であると誇れるほどに、その道のプロとして胸を張れることは何一つないんだ。
ブログ仲間のJessica嬢によると、このような葛藤をQuarter Life Crisisというらしい。
http://nameless.life/post-2172/
四半世紀(Quarter)生きてきて、イマイチ大人になりきれない焦燥感。どこか特別だと思っていた自分が、結局何者にもなれず、凡庸な大衆に埋没していく失望感。
幼児的全能感の、完膚なきまでの喪失。
僕は精神年齢が幼いせいか、本来は20代半ばで迎えるべきこの葛藤が、まとめて三十路でやってきた。
絶対食える1%の人材になってやる
そんな時に出会ったのが藤原和博著「必ず食える1%の人になる方法」という本。
彼は初の民間出身校長として、杉並区立和田中学校の改革に携わった人物。リクルートのカリスマ営業マンとして華々しい業績を上げながら、突然キャリアを教育分野にスイッチした人だ。
そしてそこでも大きな成果を挙げ、彼の教育思想を体現した「人生の教科書 よのなかのるルール」という本がベストセラーにもなった。
そんな藤原和博氏が提唱するのが、凡人が100万人に1人の絶対食いっぱぐれない人材になるにはどうしたらいいのかという具体的な指南。
ソフトバンクの孫正義氏、前科持ちながら未だに絶大なインフルエンサーであるロケットマン堀江貴文氏、そしてその流れを汲み日本人社会で頭角を現しつつある西野亮廣氏。
でも藤原和博氏は、そんな世界を股にかけるグローバルエリートになれなくてもいいという。
曰く、人工知能が人間の仕事を奪っていくこれからの時代に、人材価値を見出していくには3つの分野で100人に1人になれれば良いらしい。何故なら3つの分野で100人に1人になれたなら、100×100×100で100万人に1人の人材になれるからだ。
これは日本においてはオリンピックのメダリストや、ノーベル賞授賞者くらいの希少価値なんだそうな。
文章力
この理論を最初は信じられなかった。
だけど、確かに僕が最初のパソコンを組み立ててブログ的な、当時はブログという言葉はなかったけど、ネット社会に自分の意見をバラマキ始めてから20年経つ。当時はダイアルアップのクソ高い回線で記事をアップしていた。お年頃なのでエロサイトにハマって高額請求が来て親を宥め賺すのに苦労したこともあったっけ笑
そこから20年。
数々のブログやウェブサイトを立ち上げては、数年で潰す日々を送ってきた。そしてようやく、自分の文章や表現のスタイルを獲得して、PVやアフィリエイトの収益からその実感を得られる様になった。
確かに彼の方法で算出すると、僕がネット上の自己表現に費やしてきた時間は、優に1万時間を超える。
技術力
うつ病でのブランクはあるにせよ、僕は何だかんだ言ってIT畑を渡り歩いて来た。
学生の頃、ゲームプログラマとして働いていた時も勘定すれば、15年近くになる。それでもIT技術に関してはまだ1万時間には及ばない。僕の情熱は常に仕事とは別のところにあり、ただの食い扶持でしかなかったからだ。
発達障害的なワーキングメモリの少なさは、実はプログラミングやデータベースの管理に向いている。一度に把握できる情報量がすくない分、一旦把握したならその情報に対してオタク的なこだわりを持って、定型発達が真似できないレベルの特化を示すことができる。
プログラムというのは「繰り返し」と「条件分岐」で構成されている。人はそれをアルゴリズムと呼ぶ。
その他の要素は、どのプログラミング言語であっても誤差みたいなもん。あ、ポインタやメモリ管理、そしてネットワークとマルチスレッドの概念は、バックグラウンドとして常に必要だけど…。
とにかく。
僕はこの「繰り返し」と「条件分岐」で構成された論理構造を把握するのに、おそらく普通の人より優れている。これは発達障害で脳がバグってる分の、ある意味ご褒美とも言える。
倫理構造の把握に関して、定型発達の人に負けたことがない。
まだ1万時間の努力には達していないものの、IT分野での技術力は、僕が国を跨いでここ15年の食い扶持を確保する上で大いに役立ってきた。
これからも1万時間に向けて鍛錬を積んでいく次第。
近いうち、この道の100人に1人になりたい。
英語力
これ。
うつ病に苛まれる側で、文字通り死ぬ気で身につけた僕の英会話。でも実際問題、僕の英語力はクソである。
ネイティブレベルに三カ国語を操るJessica嬢が身近にいるからか、やっぱり僕の英語力はクソであるとの劣等感を感じない日はない。
もちろん、これでも米系企業の専門職で働けている。
上司からの業務指示や、それに対する懸念事項、必要があれば関係部署への支援要請なんかは全部英語でできる。シンガポールの日常生活でも、家や携帯の契約、現地友人との会話も問題なく出来る。
それでも、これじゃ不十分なんだよ。やっぱり、英米のネイティブに肩を並べて自己表現するところからは程遠い。
日本育ちの日本人には無理なんだ。
そんな意見もあろう。
ところがシンガポールで暮らしていると、日本育ちで日本の大学を出たにも関わらず、ネイティブレベルに英語を操り、場合によっては新卒で英米欧系企業でバリバリ働き始める人たちが、沢山いる。
彼らの英語を身近に聴いているからこそ、自分のダメさを痛感する。
だから、僕が最も1万時間を費やすべき対象は、英語力であろう。
文章力・技術力・英語力で必ず食える1%の人になってやる
でも逆に言えば、もし文章力・技術力・英語力で全て花開ければ、100万人に1人の人材になれるのかもしれない。
これは、三十路半ばで迷走する僕にとって福音そのものだ。
僕に足りないのは圧倒的な英語力と、あと少しのIT技術力。それに加え、それなりに鍛錬されてきた文章力を追加する。
もしかしたらこれを達成できたときに、僕の人生はグランドクロスに到達するのかもしれない。
とりあえず、三十路も半ばに差し掛かった僕に残された時間はそう多くない。今こそ情熱を注ぐべき対象を限定し、人工知能優勢の次の50年を生き抜く人材足りたいと思う。