5時半にオフィスを出ると、下校する私立中学の生徒たちや、足速に家路を急ぐ定時帰りの人たちと一緒になる。長い1日のルーティンから解放されて、道行く人たちはどこか幸せそう。
そんな表情に元気をもらいつつ、スケボーに乗って最寄りの駅まで駆け抜ける。赤道直下のシンガポールは一年を通じて日没が夜の7時前後。あたりはまだ青空。街路樹の緑が柔らかい風に揺れて美しい。
僕が1番好きな時間だ。
毎日、駅前の昔ながらの酒屋でビールを買う。ここには近所の人から「おばちゃん(アンティ)」と呼ばれ慕われている店員さんがいる。店が昔ながらならば、このおばちゃんも昔ながらだ。
バイリンガルとして有名なシンガポール人だけど、50歳以上の世代には英語がしゃべれない人もパラパラいる。彼女もその1人で、標準中国語と福建語をしゃべる。まぁこれも立派にバイリンガルなんだけどね。他にも何の悪気もなしに僕の給料の額や、住んでいる部屋の家賃を聞いてきたり、彼女は良くも悪くもステレオタイプなシンガポール人だ。
でもその顔には常に笑顔があって、声も静かで柔らかい。
急速に先進国入りしたシンガポールだけど、そんなのどこ吹く風で、あい変わらぬ毎日を脈々と営んでいる人たちがいる。僕はそんな時間が止まったような人たちを、駅前の少し離れた場所から眺めるのが好きだ。僕が知らない、若いシンガポール人でさえも知らない、活気と混沌が溢れた古い街が見えるような気がする。
僕には酒屋のおばちゃんがそんな古き良きシンガポールを体現しているような気がして、グローバル国家のスピードに疲れたらおばちゃんに会いに行ったりする。
おばちゃんを慕っているのは僕だけじゃない。
おばちゃんの酒屋の前には地元のおじちゃんたちが勝手にベンチを設営して、16時ぐらいになると三々五々酒盛りを始める。退職組に混じって50代と思しき人もいる。いったい仕事は何をしているのだろうか、などと考えちゃうのは日本人的かな。
楽しそうに中国将棋、象棋を指しながら、いつものメンバーでガハガハ談笑。それでビールが乾くとテクテク店に入っていって、おばちゃんから冷えたのを補充する。
将来こんな豊かな老後を送れるだろうか。その時一緒に将棋をさしてくれるような、ビールを分け合うような仲間がそばにいるだろうか。その場所はどこの国だろうか。
わからない。
人生の不確定要素に目眩がする。とは言え考えてもしょうがない。漠然とした不安を冷えたビールで流し込む。お腹を壊さなければいいけど。
家路を急ぐ人たちの流れは、そんな楽しそうなおっちゃん達や僕には目もくれず、長くなった夕方の陰を引きずって、足早に駅の改札に吸い込まれていく。僕らはまるで流れが速い川に取り残された中洲のよう。
さっきまでの青空がいつしかオレンジに染まり、東の空から夜の気配が降りてくる。
足早に通り過ぎていく人たちは、きっと将来豊かな老後を勝ち取るために一生懸命なのだろう。僕もサラリーマンとして1日のほとんどを社会の激流に乗って過ごす。でもほんの少しの間だけ、ビールを飲み終えるくらいの時間は、中洲に止まる時間を持ちたい。
社会から降りている時間。ほんの少しの余裕が僕の日常を豊かにしている。