人生、悩み始めたらキリがない。
特に人間関係の悩みは容易に答えが出ないし、ちょっとやそっとじゃ改善しない。
そんな自分の力じゃどうしようもない不安は、その他の感情を全て消し去るほど強烈だ。不安が心に突き刺さって簡単には抜けない。いちど根深い不安に取り憑かれると、ご飯を食べても風呂に入っても同じ心配事が脳ぐるぐる駆け巡り、一時も自由になれない。
こんな状態を僕は「鬱アリ地獄」と呼んでいる。
いちど鬱アリ地獄の罠にはまると、もがけばもがくほどより深い不安に駆られ、気づけば底まで滑り落ち、うつ病が再発する。揺り戻し。うつ病は再発率が高い精神疾患とされている。
僕も今だに「あー、またこの感じか」と言うような、何を考えてもネガティブで、周りの全てに文句を言うようなメンタリティーに堕ちる。そのうち文句を言う矛先は自分自身向かい、自分で自分を傷つける負のスパイラルに一直線。
でも最近、さらなる不安を用意すれば、不安で不安を消せるようになりつつある。これは練習と努力が必要なんだけれど、不安感をハックしつつあると思うので、やり方を文章にしておく。
努力で改善できる不安を用意する
ポイントは、建設的な別の不安を用意すること。僕の場合は文章力と技術力。
お陰様でこのブログも月間6万PVを超えるようになってきた。1日2000回も人様の目に触れるわけで、今こうしている間にも4,5人の読者が訪問してくれている。
それなのに、以前書いた文章を自分で読むと稚拙極まりない。誤字脱字多すぎ。論理が通ってない。居ても立っても居られなくなり、アワアワと「編集」ボタンを押し、修正を加える。すると関連記事として表示された別の文章もむちゃくちゃで、人様の目に触れるべきクオリティじゃない。
それでまた編集ボタンを押して修正作業…。
気がつくと1時間くらい経っていて、なんだか元の悩みが小さくなったように感じる。ブログが繁盛すればそれでいっか、みたいな。疲れて頭が働かなくなるのかな。
努力次第で確実に改善する不安を用意すれば、人間関係の悩みは上書きすることができる。努力で改善できる不安は、努力すれば努力した分だけ自信がつく。多分この人生アガってる感が、メンタルに良いんだと思う。
もう一つは技術力。
僕は歳だけとって「なんの専門性もないおっさん」に堕ちてゆく恐怖を強く持っている。そんな将来の不安は、大変だけど実は努力次第で改善することができる。
僕の場合は、技術畑で食べていこうと言う決意がある。
日本では将来の不安や能力不足に悩んだ時、よく本屋合宿をしたものだ。本屋に行くと全能感に浸れる。特に技術書のコーナーに行くと、無限の知識があふれていて、今からでもこの1つさえマスターすれば人生が開けるような希望が湧いてくる。
それでひとしきり立ち読みさせてもらい、これだと思う1冊を買って帰る。その後しばらくはその本をお守りのように読めば、自分の未来が開けていくような充実感を得られる。
海外に出た今、同じことはできない。でも昨今、オンラインで格安もしくは無料で受けられる授業や、実践交えた学習コンテンツがたくさんある。その気になれば格安で大学の学位まで取れるほど。
将来の不安、具体的には「なんの専門性もないおっさん」に堕ちてゆく恐怖に取り憑かれたら、自分が満足できるまでこういう学習コンテンツにガシガシ取り組む。とりあえずやった分だけ知識が増え、明日使える技術の幅が確実に広がっている。
努力で解決しないことは悩むだけ無駄
建設的な不安を用意して、疲れ果てるまで具体的に努力をすると、疲れ果ててウジウジ悩む余裕がなくなる。そしてふと気づくと元の不安感が上書きされていることに気づく。
最近は、人間関係や漠然とした将来の不安をこんな風に消している。
でもあくまで上書きなので、その下には依然として負の感情がくすぶっている。またしばらくすると風呂場のカビにように、モソモソと意識の表面に汚点が広がる。そしたらまた努力のペンキで塗りつぶしてしまえばいい。
確実に成長できるこの方法を続けて、明るく生きたいと思う。