キリスト教国フランスでは、日曜日に休息をとることに宗教的な意味がある。だから今まで原則日曜はお店を開けなかったんだけど、最近一部の大都市で給料を2倍にすれば日曜日も営業できるようにする動きがあるという。
これについてインタビューに答えた地元女性が「社会的な後退だ」と表現していて感銘を受けた。
「日曜日に働きたくない」のではなく「日曜日に仕事をするべきじゃない」。
この意識の差はデカい。
豊かな人生があって初めて仕事ができるという価値観なら、仕事のために人生の豊かさが損なわれるなど本末転倒。キリスト教圏先進国の人が会社から雇用契約と違う扱いをされると訴訟したり即辞めるのは、こういう価値観に裏打ちされているんだ。
向精神薬を服用して仕事を続ける狂気
日本でウツになってメンクリや精神科のお世話になると、病気を緩和しながら仕事を続ける方向で治療される。
でもね、向精神薬を飲んででも仕事を続けるということは、健康を損なってでも失業を避けるべきということになる。場合によっては昇進に不利にならぬよう、病状を会社に隠して更に無理を重ねる人も。
狂気。
うつ病になる前から心の底では気付いてた。仕事あっての人生なんて根本的におかしいって。
仕事が人生を支えているという意識でいると、休むことは人生の支えを疎かにすることになってしまう。そんな「仕事あっての人生」は、サービス残業、過労自殺、夫が解雇されたら離婚を切り出す妻など、まさに社会的な後退を生み出す。
あくまで豊かな人生あってこその仕事だ。ここは絶対譲れない防衛ライン。
誰にもどこにも頼れない
その後、結局無職になっていろんな国を巡った。働く自信をなくしていたものだから、異国に行くとどうしても「この国で働くとはどんな感じだろう」という意識で街を眺めてしまう。
それで気付いたのは、簡単に仕事を辞める人が多い国は、無職でもしばらく頼れる対象が存在している。福祉制度が整っていている欧州の先進国。血族の相互扶助が強力なフィリピンやタイ。
一方先進国でも、例えばアメリカみたいに福祉が貧弱だと低賃金の劣悪な環境で働く人がいる。正当な福祉制度を利用するだけで社会の落伍者にされてしまう日本、そもそも福祉が貧弱なシンガポールも、残念ながらこっち側の国だ。
健康を損なうより失業するほうがヤバくなってしまうのは、誰にもどこにも頼れない雰囲気が影響している。
とはいえ、いくらここに文句を書き殴っても社会は変わらない。自分が変わった方が早い。
それで僕は海外移住して健康を害するような働き方から開放された。だけど副作用として日本の正社員よりも高い失業のリスクを背負っている。辞めたくなくても辞めさせられてしまうのだ。
こんな厳しい企業社会で持続可能な人生を送るにはどうしたらいいのか。
豊かな人生あっての仕事
仕事あっての人生だから、仕事ばかりしている。ストレスで無駄なことにカネを使い貯金が貯まらない。仕事のための仕事になり、無駄が多く長時間労働。勉強時間もなく生産性が低いままでスキルも身につかない。病んでも仕事が辞められない。
結局こういう悪循環なんだ。ここは一発逆回しすればどうだろう。
豊かな人生あっての仕事だから、すべきでない仕事はしない。ストレス解消にカネを浪費しなくなり貯金が溜まる。豊かな人生のために仕事はできるだけ早く切り上げる。勉強時間が確保できるので生産性があがり、人材価値も上がる。必要が生じたらすぐに転職できる。
「豊かな人生あっての仕事」
今年はまずこの意識改革から始めたい。