中華系○○人のコミュニティで外国人として暮らしたい

アジアを旅していた頃から、いろいろな国に根付いた中華系の人たちにお世話になっている。

飲み屋で知り合って翌日一緒に遊びに行くとか、ホステルで仲良くなって旅情報をもらったり、たまに自宅に招かれご飯をご馳走になったり、まぁその程度だけどね。

これはシンガポールに移住してからも同じ。そもそも移住するキッカケをくれたのも、今のテニス仲間も、現地に根付いた中華系の人たちだ。

なぜだか僕にとって中華系○○人のコミュニティが居心地良い。

確かに中華系の人たちは日本人と見た目が近いし、料理の味みたいな生活文化も似ている。だから異国での心細さを癒やしてくれるんだろう。

漠然とそんな風に思っていた。

シンガポールで最初の仕事はホステルの管理人だった。ビザサポート無し、時給400円のアルバイトで、会計処理からトイレ掃除まで何でもやった。

日本でウツになって社会人に挫折した僕は、このアルバイトで再び働く自信を取り戻すことができた。中小企業のホンモノの帳簿をいじれたのはとても為になったし、人生で最大の転機と言える。

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ところがある日、管理人として対応した日本人のお客さんからこんなことを言われた。

「日本人なんだしマトモな仕事に就いたらどうだい?」

これ。これこそが僕が日本社会に適応できなかった原因。

日本社会には「○○なら✕✕して当然だ」という無言のルールが多い。

新人なら無給で早く出社して雑務をこなせ、女なら化粧して社内の華であれ、男なら稼いで家計を支えろ、若手なら気配りをしろ、日本人ならマナーを守れ。

これを暗黙のうちに満たさないと、暗黙のうちにコミュニティから排除される。

このお客さんには「いい年こいて安宿泊とは日本人として情けない」と言い返したかったけど、そこはお客さんなんで忖度した。これも日本人なら客に対してとるべき行動をしたまでだ。



属性に期待されるのは日本だけじゃない

属性に勝手に期待してそれ通りに行動しないと攻撃されるのは、実は日本社会だけじゃない。

例えばなんとなく寛容そうなタイ人社会もそういうところがある。

タイは街に国歌が流れ、国王陛下に忠誠を誓う文化がある。平日の朝8時と夜18時に国歌が流れている間、タイ人なら何をしていても立ち止まらなければならないのだ。

あれは映像的に面白いので是非タイに行って体験してほしい。

ビックリしたのでバンコクで映像作家をしているタイ人の友達に、朝晩の国歌で立ち止まらないとどうなるのか聞いてみた。

すると「流石に不敬罪にはならないけど社会的制裁(Social Punishment)を受けるかもしれない」とのこと。例えば学校や会社で立場が悪くなったり、家族から非難されたりするそうだ。

めっちゃ日本っぽいじゃん(=^・・^=)!

マレーシアやインドネシアみたいなイスラム教社会はもちろんのこと、宗教色が強い国は「○○なら✕✕しろ」という圧力が強い傾向にある。

ムスリムなら酒飲むな。自由恋愛より親が決めた見合い相手を優先せよ。それまで貞操は守れ。それが当然の社会で育つと、外国人に対しても飲酒や性愛や宗教観について、自分らの常識を押し付けてくる人が多くなる。

僕はそういう社会を否定しないけど、息苦しさを感じてしまう。

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「中華系」とは多様な人々の集まりである

そんな東南アジアの宗教ガチ国家で、マイノリティとして逞しく生きる中華系の人たち。彼らの社会には「○○だったら✕✕しろ」みたいな圧力が少ないと感じる。

共働きが基本なので男性が家計を全て背負うような圧力がない。女性の化粧や女性らしい立ち振舞いが強制されていない。新人が上司より先に帰るし、親と子供で宗教が違ったりする。

僕はそんな中華系○○人のコミュニティが居心地の良いんだけど、彼らはどうして「違いに寛容」なのだろう。

これが僕が気楽に生きるためのヒントな気がする。

まず、別の民族が仕切る国でマイノリティとして生まれ育っている。そして漢民族の起源である中国にあまりシンパシーを感じず、ちゃんと中国語を操れない人も多い。そして中華系と一括りにしても、その中に物凄い多様性がある。福建・客家・広東という言語文化の違いや、現地人との混血度合い。さらに仏教・道教・カトリック・プロテスタントという宗教もバラバラだ。

ここまで多様性が広がると「中華系とはこうあるべきだ」という基準を定めるのが難しくなる。例えば「中華系は純血で中国語と英語と現地語を流暢に話し仏教徒であるべき」とすると、大部分の人がここから漏れてしまう。そんな「普通」は定義しても意味がない。

逆に言えば、日本人はあまりに均質だからこそ「日本人ならこうあれ」という基準が定義できてしまう。そこに大多数がハマるからだ。

多様性の欠如こそが日本人の生き辛さの根本原因である。

中華系社会も深入りするとハイコンテクスト

ところが実際に彼らが仕切るシンガポールに住んでみて、中華系が気楽そうに感じるのは僕が「よそ者」だからだと気付いた。

仲良くなった友達の家に遊びに行きご両親と会ったりすると、彼らのプライベートはかなりハイコンテクストだった。それこそ忖度の連続。

そして実は結婚するなら新郎の方が多く稼ぐべきだし、女性は良妻賢母を求められるとのこと。

他にもシンガポールの中華系コミュニティには、月餅というお菓子をお世話になった人にプレゼントする風習がある。ここで誰にどのランクの月餅をプレゼントすべきかは、もはや僕には検討もつかないくらい複雑な空気の読み合いである。日本のお歳暮ならハムのクオリティに当たる(=^・・^=)?

大学のゼミでお世話になった先輩、奥さんを紹介してくれた上司。そんな微妙な人間関係に、具体的な値段を付けなくてはいけないのだ。考えただけで頭痛がする。

僕は「よそ者」だからこそ、こうした複雑なコンテクストを免除されていたに過ぎない。

中華系社会の寄生虫

それでも僕は濃い人間関係が苦手なので「よそ者」として放っておいてくれる中華系社会が心地良い。

これからも権利を主張せず義務を負わず、世界の中華系コミュニティに付かず離れずの距離で混ぜてもらうのが僕にとっての幸せ。

今後とも宜しくお願い申し上げます(=^・・^=)♡

 

  1. やまお より:

    敢えてよそ者として生きる、生きられる場所が有るのは希望ですね。

    • ししもん より:

      やまおさん、コメントありがとうございます(=^ェ^=)

      そうなんです。お世話になった中華コミュ二ティは僕に生きる場所を与えてもらいました。僕にできる形でいつか恩返しが出来ればと思っています