シンガポールは2015年に総選挙が行われた。結果は89議席のうち与党が83議席を獲得して圧勝。与党の得票率が史上最低を記録した前回2011年の総選挙から、現政権が華々しく盛り返したカタチだ。
日本には今だにシンガポールを明るい北朝鮮などと言う人がいるけど、完全にナンセンス。現在のシンガポールは民主的な選挙で選ばれた、正当な代表者によって国政が運営されている。もちろん選挙制度に何かしら問題点を指摘することは出来るだろう。でももしシンガポールを独裁国家とするなら、日本を含むこの世のほとんどの国が独裁になってしまう。2015年の選挙は、シンガポール国民により民主的な方法で、現政府が再度信任されたことを意味する。
投票日の前日、僕の職場では「チームビルディング」という、クソダルい親睦イベントが開催された。いい年こいた大人達が、4時間にわたり泥水に釣り糸を垂れ、ザリガニを釣るのである。たとえ前衛芸術だとしても、あの光景はあまりにシュールすぎる。
しかもこのザリガニ、全然美味しくないんだコレが。もはや釣れたら罰ゲームの様相。僕は2秒で飽きた。わざわざアメリカから参加した大ボスもスマホゲームを始める始末。
でもチームビルディングとは本来職場の親睦を図るイベントだ。暇だし同僚になんか話しかけてみるか。そんなノリでシンガポール人同僚に「明日の選挙はどこに入れるの?」と聞いて廻ることにした。
そしたらザリガニと違って入れ食い状態。
外国人ばかりの職場なので気を使っていたけど、シンガポール人はみんな選挙について話したくてしょうがなかったみたいだ(=^・・^;=)
現政府の批判。経済状況に対する愚痴。そして僕の前で大っぴらには言わないけど、外国人労働者への当てこすり。出るわ出るわで、いつの間にか質問者の僕を置いてきぼりにして、シンガポール人たちで勝手に盛り上がり始めた。
ぷんぷん(=^・・^#=)
どうも若い人たちに野党支持者が多いようだ。特にこんな給料が安い会社に勤めているなら尚更…。普段偉そうで高給取りの政治家に、ここぞとばかりに一泡吹かせたい。シンガポール人のそういう意気込みが伝わってきた。
ところが蓋を開ければ与党の歴史的圧勝。
日本と同じように、どこに投票しても「どうせ与党が勝つ」シンガポール。だから選挙と言っても現政府への信任投票という側面がある。それでも国民一人ひとりがそれぞれ考えて、そのような結果を生んでいることは確かだ。
今日は、とあるシンガポール人兄妹にスポットライトを当てる。
彼らは与党が歴史的大敗を喫した2011年には野党に票を入れたのに、2015年には同じ政治家が率いる与党の大勝に貢献した。彼らのここ5年間の政治スタンスの変化はとても興味深かい。
妹の場合
「シンガポールには未来がない。私はどこか他の国に移住したい」
そんな彼女は当時24歳。シンガポールのポリテクニークを卒業し、中国資本の原油投資会社でアナリストをしていた。学歴社会のシンガポールにおいてポリテク卒というと、日本で言えば二流私大卒って感じ。でも頭の回転が速い彼女は実力を買われ、当時からかなりの額を稼いでいた。
実際彼女には実力がある。
ちょっと話せば「外の目」を持ってると明らかにわかる。外の目とは、生まれ育った国や文化によらず、英語や外国語で世界の動向を偏見なく読み解き、それを元に自分の判断を下す能力だ。僕はそんな外の目を持つ人達を尊敬している。
そんな彼女が「未来がない」というシンガポール。不動産バブルが弾ける前夜だったとは言え、僕にはそこらの先進国より余程上手く廻っているように思えるのだけど。
彼女が祖国シンガポールに対して不満だったのは、外国人依存の社会構造だ。海外から高機能人材(お抱え外国人)を集めて急成長したものの、置いてきぼりにされたと感じる自国民のフラストレーションは極限まで高まっていた。
それならば実力で母国から抜け出して、自分も外国人として海外で成功してやる。そんな憤りにも近い意気込みを、彼女の言動から感じることができた。
ところがそれから3年後、彼女は海外に出ることなくシンガポールで約8500万円のコンドミニアムを買った。その大半が不動産ローン、借金である。彼女の実家は色々と不安定で、更に彼女だけが社会的に成功したこともあり、幼少からの生きづらさが限界を超えた。
「あたしには静かに暮らせる場所が必要なの」「色々なものが馬鹿らしいくらい高いけど、それでも2000万円のクルマをポンと買えるシンガポール人はすごいのよ」
久しぶりに一緒に食事をした時、彼女は少し疲れたように見えた。それでも大きな決断をした自信と、これからの希望を語った。
しかし運命と言うのは非情だ。それから程なくしてシンガポールの不動産バブルが崩壊した。その結果彼女のコンドミニアムを含む高級住宅は特に大きく下落し、その下げ幅は最大で11%にも及んだ。8500万円の不動産を借金で買って、そこから11%値が下がるともはや1000万円近い含み損である。完全に高値掴み。
こうなると、理想を語っている場合ではない。
彼女は社会の安定と経済発展によって、自分の持つ物件の不動産価値が回復することを願うしかない。そのためには今まで継続的にシンガポールを発展させてきた、元政権与党に投票するのが最善と言うことになる。
彼女が与党支持に転換したのは、このような切実な事情がある。
兄の場合
「シンガポールをシンガポール人の手に取り戻す!」
この感情は、外国人依存のシンガポールの社会構造を憂う妹と同じものだ。
興味深いことにシンガポールの野党は、北東部のごく一部でのみ圧倒的に支持されている。ここには不動産価格をめぐる複雑な事情があるのだけれど、まぁその話はおいおい書くことにする。
出展:Wikipedia
2011年、野党が議席を伸ばした時の彼をよく覚えている。兄の彼は選挙期間中、野郎支持者が多いこの地域に足しげく通って、野党政治家の演説を聞いていた。シンガポール人と言うともっと経済優先で、政治とかめんどくさそうな印象があったにも関わらず、彼のように自分の住む国や政治について真剣に考えている人がいることに当初ビックリした。
彼はなかなか曲者で、怒りの感情をコントロールすることができない。
それで妹と同じポリテクをキレてドロップアウトし、それからアルバイトを転々とするも半年以上保ったためしがない。なので三十路を超えても定職につけず、実家で親のスネをかじって暮らしている。
ただ彼には語学の才能がある。中国語、福建語、英語、さらにスペイン語まで話す。南米のスペイン語と、スペインのスペイン語を話し分ける本物だ。さらに欧州サッカーやスペイン社会についてとても詳しく、決して頭が悪いわけではない。
僕はちょっと発達障害の気があると思っている。
そんな彼が、新年早々シンガポールの史跡をめぐるツアーを企画した。シンガポールの旧正月、春節にはほとんどの店が閉まりやることがない。だから暇を持て余した僕も参加させていただくことにした。
ところがなんというか、シンガポールにはあまり史跡と呼べるレベルに古い建造物は残っておらず、もっぱら最古の公団住宅HDBを巡るツアーとなった。ダレる参加者を象徴するかのようなシトシト雨のなか、元日の住宅街を20人程で歩き回った。
その道すがら立ち寄ったシンガポールの名門、南洋工科大学の施設で、ちょっとした議論が勃発した。彼はそれをシンガポールが誇る東南アジア華人の最高教育機関と紹介したんだけど、そこにひとりの参加者が噛み付いた。
「僕は南洋工科大の卒業生で」と前置きをした上で、その参加者が語り始めた。
マレーシアから追放される形で独立を果たしたシンガポール。それは資源も食料も飲み水すらなく、とても貧しい船出だったと言う。そこで首相になった国父リークアンユー氏は、経済発展を絶対的な国是とし、現在のシンガポールの礎を築いた。
ところがその障害となったのが中国の共産主義にシンパシーを持つ、中国系の移民たちだった。経済発展するのに共産主義やナショナリズムのようなアイデンティティーが邪魔になったのだ。そこで氏は強権的にこれらの中国共産系組織を弾圧し、開発独裁と呼ばれる政治体制を整えた。
南洋(ナンヤン)とは「中国からみて」東南アジア地域を指す言葉だ。
今は無き南洋大学(南洋「工科」大学ではない!)は、当時英国領だったシンガポールで成功した中華系資産家、南洋華人としてのアイデンティティを持つ一般民衆からの寄付で設立された総合大学だった。共産化した中国に留学出来ないので、近隣諸国からシンガポールの南洋大に優秀な中華系の学生が集まったのだ。
その結果、南洋大学は中国語で高等教育を受けられる東南アジア地域での最高教育機関になった。
ところがその後、共産主義化した中国の思想に大きな影響受け、政府が推し進める経済政策に反対するデモ等に南洋大学関係者が深く関わるようになる。そのため弾圧の対象となり、講義が英語化され、シンガポール国立大学に吸収される形で事実上の廃校となった。
そしてその跡地に設立されたのが、政府の意向を組む現在の南洋「工科」大学である。南洋大ではなく南洋「工科」大。
このようにシンガポールの発展は、リークアンユー氏をはじめとする英国で英語教育を受けたエリート集団が、中国系エリート集団を抑え込むことで成し遂げられた背景を持つ。
なので南洋大と南洋工科大は全くの別モノであり、南洋工科大学が東南アジア華人が誇る最高学府という兄氏の主張はちゃんちゃら的外れとなる。
野党支持だった彼は、いつの間にかちょっとしたナショナリストになっていた。結局、彼がやりたかったのは事実を捻じ曲げてでも国父リークアンユー氏を美化し、東南アジアに散らばる中華系民族のアイデンティティを高揚することだった。
グローバル化した社会で上手く泳げず、何年も失敗し続けた彼のコンプレックスは、今やなかなか手がつけられない。もはや東南アジアの一等国「シンガポール人である」ということ以外、彼が誇れるものがなくなってしまったと思う。
彼は自分の頭で考えるのを止め、盲目的に誇るべき国家を体現する与党を支持するようになった。
その先の幸福
みんなが貧しく、経済的豊かさこそが幸せと全員が確信できた時代はある意味良かった。
その思いで政府と国民が一丸となり、最短最速で先進国入りしたのがシンガポールと言える。日本の戦後復興から高度経済成長までの狂気染みたモーレツさも、この「経済的貧しさからの脱却」に下支えされていたのではないか。
ところが今や、ちょっと頑張れば誰でもiPhoneを買える。むしろ全く同じ機能を中華スマホで圧倒的に安く手に入れられる。そんな物質的豊かさが飽和した時代を僕らは生きている。これはシンガポールも日本も同じだ。
もちろん、経済的豊かさは不可欠。
いちど享受した豊かさを人は容易に手放すことは出来ない。だから「3丁目の夕日」的な懐古主義を僕は否定する。スマホもインターネットも無く、300円でコンビニ弁当や牛丼がいつでもどこでも食べられない時代に戻るなどクソ喰らえだ。
でも、僕らが本当に必要なのは「iPhoneのその先にある幸福」なんだ。
便利で必要なモノが何でも手に入ることを前提に、誰しも「次の幸福像」を探し求めている。
それが見つかった国・社会を、僕はまだ知らない。この「思想の欠如」が、近代的民主主義国家における政治システムの停滞と、国民の閉塞感を生んでいる。それでリベラルと呼ばれるオバマを大統領にしたり、それでも幸せにならないから真逆の思想を持つトランプに挿げ替えてみるも、あまり効果は無かったようだ。
こうなると、もはや皆が全員幸せと思う「理想」は存在しないのだろう。
価値観が多様化した時代には、何が幸福なのか各々が自己満足するしかない。となると、多様化が進めば進むほど、最大多数の最大幸福を目指す、多数決が基本の「民主主義」が機能しなくなる。社会で多数派が萎み、数多くの少数派の集まりになっていくのだから。しかも、それでも共産主義や独裁が歴史的に失敗したことは覆らない。
その上で、次を担う最適な社会システムとは何なのか。
それこそが日本やシンガポールのみならず、物質的豊かさを達成した先進国に共通する「次のチャレンジ」だ。